村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2011年10月3日(日本の医療を守る市民の会)

 9月22日に東京の中野サンプラザで行われた「日本の医療を守る市民の会 第40回勉強会」で講演してきました。演題は「支える医療でまちづくり 夕張希望の杜悪戦苦闘の毎日」でした。

 講演は18:30からだったのですが、早めに会場に入って自動販売機の前のソファーに座ろうとすると、何やら見覚えのある女性が本を読んで座っておられました。「医師 村上智彦の闘い 夕張希望のまちづくりへ」の著者、川本敏郎さんの奥様でした。非常に残念ですが、昨年川本氏が他界し、私は青山で行われた葬儀に出席して以来の再会でした。

 本を書いている時に、治療を続けながら生まれ故郷の北海道の芦別へ来て、その時に奥様と夕張にも来て下さっていました。しばし、川本さんの想い出話に花が咲いてしまいました。

 川本さんはこだわりの作家さんで、自分の気に入ったものしか書かない人でした。その緻密な取材姿勢には頭が下がる思いで、私の師匠である自治医大の五十嵐教授や岩手県藤沢町の佐藤元美先生の元へも足を運んで下さいました。おそらく自分も北海道の産炭地の生まれだったこともあり、夕張で試行錯誤している私の姿を見て、何らかの応援をしたいといった気持ちが強かったのだと思います。私にとっては目上の方ですが、友達というか戦友のような方です。

 奥様は一番後ろの席で静かに講演を聞いてくださっていました。お会いできてとてもうれしかったですよ。

 さて、この日本の医療を守る市民の会というのはすごい集まりでした。一般市民の方だけではなく、会社の社長さん、議員さん、マスコミ関係の方、看護師さん、医師、研修医、首長さんなど様々な立場の方が来ていて、毎回熱心に勉強会を開いておられます。

 特に今回は森田先生の関係で元千葉県知事の堂本さんも講演を聞きに来てくださいました。1時間半くらい講演をしてから、質疑応答の時間がありました。その質問の内容がすごくて驚きました。要は皆さんとても良く勉強されていて、質問の内容が非常に具体的で前向きでした。

 検診の受診率を上げるためには具体的にどのような方法論があるのか。夕張ではどのようにして住民の意識に働きかけているのか。多職種連携の具体的な方法は。医療は高齢化に対してどのようなスタンスであるべきなのか。都市部ではどのように具体化していくべきなのか---など、私の不勉強で十分にお答えできなかった点も多々あって、申しわけなく思います。

 過去の記録を調べてみますと、講演ばかりではなく映画の上映があったり、その内容も非常に充実していると思います。次回は10月25日に東京保険医協会(新宿区西新宿)で慢性疲労症候群についての映画が上映され解説や質疑応答もありますので、興味のある方は是非ご参加ください(日本の医療を守る市民の会のサイト)。

 ホームページの冒頭にはこのようなことが書かれています。

 「医療はだれのものでしょうか? お医者さんだけのものではありません。誰かにおまかせではなく、安心して病院にかかれる医療制度を子どもたちに残すために、みんなで一緒に考えませんか?」

 私達の活動も同じです。次の世代のために今の高齢化して下り坂の社会をどう乗り越えて行くのかというのが大きなテーマです。少なくともお任せや誰かを批判していても解決しない問題です。それこそが夕張の破綻が示しているメッセージだと思います。

 いまだに過去の栄光や既得権益にしがみ付く人もいますが、そろそろそのような非常識が通用しなくなったのは良い傾向です。多くの場合、知る機会は待っていても来てくれません。それを「知らなかった」といって破綻するのは、余りにも工夫が無いですね。

 そろそろ夕張では冬支度が始まりそうです。

2011年10月10日(首長パンチ)

 「首長パンチ」とは、佐賀県武雄市長の樋渡啓祐さんの書いた本のタイトルです。この本はかつて最年少市長となった樋渡さんの市長になるまでの過程や、万年赤字の市立病院問題を解決するために既得権益と戦う姿が書かれた本で、ある意味どこの地域でも起こっている問題に、真っ向から立ち向かった戦記のようにも思えます。

 今回はこの首長パンチが10月1日に札幌で行われた講演会のタイトルに使われました。「北海道 首長パンチ 若い世代から起こす新しい風」と題して北翔大学 北方圏学術情報センター「ポルト」で講演会が行われました。

 もともとこのイベントは若者の政治参加や地方活性化を考え、議論するのを目的に立案され、夕張と同じ空知の産炭地の北海道赤平市の大井弘幸さんが主催者となり企画されました。実行委員会には昔からの知り合いもいて、依頼があってから私自身も楽しみにしていたイベントです。

 大井さんによると元々この企画は、今年2月に北海道赤平市(植松電機)において開催された、北の大地「夢」たいせつフォーラムから始まり、そこで生まれた職種・世代を超えたメンバーを中心に、「北海道の旧態依然の殻を打ち破り、新しい領域に挑戦」を合言葉に今回の北海道「首長パンチ」実行委員会が発足されたのだそうです。「まちづくり」「地域医療」「新エネルギー」といったテーマを議論する場となりました。

 講演会は2部構成になっていて、1部は2006年に初当選した当時、全国最年少市長の記録を更新した佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長が「旧態依然の殻をうちやぶれ!」と題して講演しました。私は樋渡さんとは初対面で、彼のことはリコール問題や選挙の場面をテレビで見ていた記憶があり、どちらかというと生真面目で熱い方といった印象がありましたが、講演自体は非常に面白くていつも笑い声が絶えないような内容でした。

 そして現場で苦労してきただけあって、言葉の一つ一つが重く、心に響いてくるような講演でした。話を聞けば聞くほど、立場は違うのですが、ある意味私と同じ匂いを感じる方だという印象です。「分かりやすく伝える」「役割分担して自分達で考える」「楽しくないと一緒にやらない」「微力は無力ではない」などなど、とても勉強になった1時間でした。

 2部は元農林水産省企画官、内閣官房地域活性化伝道師の木村俊昭さんを司会に、樋渡市長や大村市市議会議員でNPO法人ドットジェイピー理事の村崎浩史さん、北海道グリーンファンド理事長の鈴木亨さんと私も参加して「北海道を熱くする次の一手」をテーマにパネル討論を行いました。

 私は色々なシンポジウムや講演会に出てきましたが、こんなに楽しい講演会は初めてでした。不覚にも講演会場に着いたのは開始時間ぎりぎりで、打ち合わせもできなかった状態なのですが、全く関係なく話ができました。多分出ている人間たちが楽しんでいましたから、聞いている人達にも伝わったのではないかと思います。

 実際、質問も次々に手が挙がり、参加者の皆さんの手には「いいね」カードが配られていて、リアルタイムに反応が視覚化されていました。講演の様子もほぼリアルタイムにインターネット上に報告されていました。

 講演会後の懇親会、2次会と真夜中までご一緒しましたが、とにかく楽しい集まりで、従来のイベントとは全く違う感じで、問題意識を持つ若い世代の参加が多くて、将来に希望が持てる時間となりました。

 翌日には樋渡市長と連絡を取り、相互に交流することが決まり、今後私が佐賀へ講演に行く話まであっという間に決まってしまいました。正直、このようなメンバーと知り合えたのはとても幸運なことだと思いますし、樋渡さんとの出会いは運命的なものを感じます。

 ほとんど手弁当で企画して下さった関係者の皆様に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。そしてこれからも北海道のために頑張りましょう。

 夕張では10月3日に初雪を観察しました。翌日の4日の朝にはついに気温が氷点下となり、ストーブが活躍しています。冬はもう目の前に来ているといった感じがします。