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今こそ! シリコンバレーに学ぶ“興す力”――ブランク氏ブログ集

どうして iPhoneに「テールフィン」がついたのでしょうか(後編)

1950年代から1960年代にかけて大型乗用車がこぞって採用した「テールフィン」は、機能的な効果は全くなく、ただ「見た目の良さ」のためにデザインされた販売促進のアイデアでした

2011/11/07 ITpro
図●ジョーダン自動車の広告
図●ジョーダン自動車の広告
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 今回の投稿は、1920年代におけるゼネラル・モーターズ(GM)の躍進と「iPhone」によるアップルの急成長の共通性を見出した投稿の後編。ブランク氏は、常に最新型iPhoneが欲しいとユーザーに思わせたスティーブ・ジョブス氏の才覚を、GMの躍進を支えた当時のCEOで米国では20世紀最高のCEOと見なされているアルフレッド・スローン氏のそれと重ね合わせた。(ITpro)

 1920年代の初頭、ゼネラル・モーターズ(GM)は、「Model T」を290ドルで販売しているフォードが、低価格の自動車製造では他を寄せ付けないほど独占的な地位を築いていることに気がつきました。他の自動車メーカーは、イメージとブランドによる販売を試みました。その象徴は、ジョーダン自動車のこの著名な広告です(図)。しかしGMは、自動車の販売を全く新しい次元に導こうとしていました。

市場と製品をセグメント化する

 GMは、創業者のビリー・デュランテ氏が買収した複数の独立系自動車メーカーを、製品事業部門に変更しました。天才的とも言えるひらめきにより、GMは製品事業部門をフォードが対抗できない“武器”へと変えたのです。「すべての人の財布と目的に合致する車」というスローガンを掲げ、同社の自動車部門をシボレー、ポンティアック、オールズモビル、ビュイック、キャデラックの5部門に分け、低価格車から高級車までの価格帯を網羅しました。GMは、各ブランドとそのブランドの各モデルを、年間所得を基にした経済的なセグメントに明確に割り当てたのです。

 シェビーは、フォード主力車と真っ向から対抗するブルーカラー向けの大量生産の車、ポンティアックはその上位車で、さらにオールズモビル、そしてビュイックと続きます。最高級のキャデラックは、贅沢で威厳のある車で、ユーザーがそれを購入できる地位に達したことの証となります。ユーザーは、保有する自動車を通じて自分のステイタスを世間に示し、上位モデルに買い替えることにより生活が向上した証としました。

 GMは、もう一つのトリックを使いました。あるブランドの最高級車の価格を、一つ上のブランドの最低価格の車種よりも若干低く値付けしたのです。もう少しだけお金を払えば、もうちょっと誇らしいブランドの車種を買えると思わせる狙いがありました。

 それまでは、どの自動車メーカーも、価格によって市場をセグメント化したことがありませんでした。他の自動車メーカーは、GMの一つのブランドと競合できたとしても、GMの5ブランドのすべての車種と競合できる資金もリソースもありませんでした。

計画的に商品を陳腐化

 市場のセグメント化によって、GMは5部門を通じて、フォードやクライスラーよりも広範囲の市場に多くの車種を提供できました。しかし、それだけでは市場の飽和問題を解決できませんでした。1920年代の終わりには、米国人のほとんどが自動車を所有し、その車は6~8年もの使用に耐えました。さらに悪いことに、市場には中古車があふれ、ごく普通の低価格の交通手段になりました。GMのCEOだったスローン氏は、解決できそうもない以下の二つの問題に直面しました。

1)どのようにしてユーザーに、全く問題のない車を手放させ、新車を購入させるのか?
2)価格と機能で競争している製品を、どのようにして「ニーズ」に転換させるのか?

 スローン氏のさらなる天才的なひらめきにより、GMは“1年ごと”のモデル・チェンジを発案しました。スローン氏は、毎年新しいスタイルを発表するファッション業界からこのアイデアを流用し、自動車に採用しました。 GMは、自動車の外観を毎年変更することにしました。スローン氏は、それを「ダイナミックな陳腐化」と好んで呼びました。

 スタイルとデザインは、GMの中核戦略の一部になりました。スローン氏が雇い入れたハーレイ・アール氏はGM社内にスタイル担当部門を創設、1927年から1958年まで管理・運営しました。

 アール氏が就任するまでの自動車のデザインは、機能や原価、特徴といった現実的な課題を考慮し、 社内の車体エンジニアが決めていました。外観部品 、ラジエーター、バンパー、フッド、車室(パッセンジャー・コンパートメント)などは、機能を優先して個別にデザインされていました。それまでも数社の自動車メーカーが第三者の車体メーカーにスタイルを依頼することがありましたが、GMは業界で初めて、車のデザインをエンジニアから取り上げ、スタイリストに一任したのです。

 スタイルあるいは段階的な技術向上による“改良”を、1年ごとのモデル・チェンジで実現することにより、GMは市場で比類ない強みを確立しました。

 ヘンリー・フォード氏はこのアイデアを嫌悪しました。彼は大量生産の経済性でフォード社そのものを確立し、その代表車種Model Tは19年続いたのです。弱小の自動車メーカーは、競争力を保つための技術も、スタイルを頻繁に変更する資金的余裕もありませんでした。GMは、すべての工場を2~3カ月間操業停止し、各工場内の既存の工具、ジグ、鋳型などを破棄し、モデル・チェンジした次の車種を生産するのに必要な装置に置き換えたのです。

 GMは、課題解決型の製品だった低価格の交通手段を、「ニーズ」にする方法を見つけ出しました。それは、次の世紀まで同様のアイデアが出ないほどの“マーケティングマジック”でした。1950年代半ばまで、他の自動車メーカーはGMについて行くだけで精一杯でした。

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