2011年3月11日に発生した東日本大震災から半年が経過し、津波避難やBCP(事業継続計画)の改善といった企業の地震対策への取り組みはようやく本格化している。

 震災後数カ月間は「BCPは役に立つのか立たないのか」「『脅威の種類(パンデミック、大震災など)を想定したBCP』と『あらゆる経営資源喪失を視野に入れたBCP』のどちらが有用なのか」といった論議がセミナーや新聞/雑誌で活発に繰り広げられた。だが、このような論議は水掛け論のやり取りや、堂々巡りに陥ってしまいがちだ。幸い、こうした論争に興味を失い、地に足がついた取り組みを進める企業も増えている。

 実務家に向けて筆者は以下のことを強調したい。

  • BCPとは「精緻なシナリオ」ではない。目標とする期間までに事業を再開させるための「コンセプト」もしくは「プロセスイメージ」である
  • 対策の採択が経済合理性に基づくものである以上、一般の民間企業において「想定外」が無くなることはあり得ない
  • 闇雲にBCPの完成度を高めようとするよりも、訓練を反復実施することに重点を置くべきである。想定外の状況に対処する力、あるいはコンセプトやプロセスイメージに則ったタスクを被災時でも実行できる可能性を高めるような訓練が望ましい

BCPに「緻密さ」を求めるべきではない

 BCPが使える/使えないといった論議はどうして起きたのだろうか。それは、BCP、すなわちBusiness Continuity Planが日本では「事業継続計画」と訳されており、この「計画」の本質的な意味が誤解されてしまっているからである。「X月XX日に部品AをY個、要員CをZ時間投入して100個の完成品を作る」といった生産計画のような緻密さを期待してはならない。

 もともと「計画」の意味は、「ある事を行うために、あらかじめ方法や順序などを考えること。また、その考えの内容。もくろみ」(小学館の『デジタル大辞泉』、2011年9月現在)とある。すなわちBCPとは「目標とする期間までに事業を再開させるためのコンセプト。もしくはプロセスイメージ」と理解するべきであろう。

 オーソドックスなBCPは「パンデミック対応計画」「大地震対応計画」といったように、所与の被害想定について策定される。だが、そもそもこの被害想定に不確実性がある。

 例えば首都圏の企業では、BCPで首都直下型地震を想定するに当たり、中央防災会議や東京都が公表した被害想定を所与としている。ところが、東京都の東側、葛飾区などがかつて属した「下総国」については、鎌倉幕府が創設される11世紀以前の記録が古文書などでもほとんど残されておらず、地震の記録も無い。

 また江戸時代以降に、1703年の元禄地震や1923年の関東大震災が発生したが、これらは直下型地震ではなく、相模トラフを震源域とするプレート型地震であった。このように、国や東京都の想定は実際にあった直下型地震の記録に基づいた想定ではない。

過去の災害以上の想定は、合理的判断を求められる企業には無理

 BCPは自然災害や感染症・テロなどの危機への対応をもくろんで開発されたリスクマネジメントの一手法である。ここでリスクマネジメントとは「経営活動に生じる様々な危険を、最少の費用で最小限に抑えようとする管理手法」と定義される。ここでポイントとなるのは「最少の費用で最小限に抑える」という点である。

 「あらゆる経営資源喪失を視野に入れたBCP」を作るならば、過去に生じたことの無いリスクも想像して費用をかけざるを得なくなる。

 だが一般的に企業の寿命は30年といわれ、社歴100年超の企業で長寿企業といわれる(1400年超の社歴を誇る、飛鳥時代に創立された寺社建築の「金剛組」のような例外もあるが)。

 東日本大震災は津波の遡上高において869年に発生した貞観地震に類似していたことから「1000年に1度の大地震」とも分析されている。それでは、これから1000年以上先に発生するかどうか分からない大地震に対して費用をかけることに経済合理性はあるのだろうか。筆者はそうは思わない。

 例えば、市場性も分からないような商品開発案件について、ヒットするはずだという担当者の感性を信じて経営者は多額の投資を決断し、また、株主はそれを許容するだろうか。担当者がよほど実績を残している場合を除き、それだけでは社長や株主は納得しないのが当たり前である。

 同様に、「1000年以内に大災害がある」という説明だけで、「国外に事業継続拠点を持とう」を決断できる経営者もいないと筆者は考える(もちろん、事業の国際化やグローバル化といった複合的な目的の下で、それを決断できるケースはある)。

 この点が、行政機関と民間企業のBCP策定の違いとも言える。被害想定を数十年以内に実際に発生した地震にとどめることは、企業においては必然と言えよう。