村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2011年9月5日(支える教育)

 ある日の夜中にNHKで教育に関する討論番組をやっていました。番組の中では、色々な世代の人達が日本の教育の問題点を議論し、教育が世界一と言われるフィンランドの教育と比較して議論していました。私は以前から日本の医療と教育が抱える問題がとても似ているように思っていました。

 番組の中であの「おねえ言葉」で有名な教育の専門家がこのような発言をしていました。「日本の教師は、教える技術や知識は世界の中でも優秀です。ただ問題は、学ぶことをサポートするという視点や体制に欠けていることです」。

 確かに高度成長期に産業を支えるような、ある程度の学力を持った若者をたくさん育成するためには、たくさんの生徒を集めて、優秀な先生達が勉強を教えて競争させるというやり方は有効に働いていたと思いますし、先生達も機能していたのだと思います。

 しかし、経済大国となり、成熟社会を迎え、ピークを越えて来ると少子化が進み、そのやり方がうまく機能しなくなってしまいます。以前はとにかく豊かになるといった目標があったのですが、目標に到達してしまった社会には目標が無くなってしまいます。医療と同じで教育も目的では無くて手段だということだと思います。

 今度は自分達で考えて学び、生きて行くために自ら考えて適応していくことを求められますが、日本の悪いところで、一度仕組みが出来上がってある程度の実績があると、そのやり方を時代や環境に合わせて変えていくことができなくなってしまいます。

 教育を受ける側もお任せになり、変わっていく時代や環境に仕組み自体が適応できなくなることに不満ばかり持つようになり、やがてモンスター化してしまいます。そして教師たちがストレスばかり受けるようになって、辞めてしまうようになります。

 医療と図式が同じだと思いませんか?

 以前の日本は貧しくて医療などほとんど受けられない状況から、世界でもまれにみる優秀な皆保険制度を確立して、WHO(世界保健機関)でも世界一と評価される優秀な医療を受けるようになり、世界一長生きになりました。やがて世界一の長寿社会から、世界一の高齢化社会となっても、以前と同じようなやり方で戦ってしまいます。

 本当は世界一の長寿を手に入れたので、今度はその豊かさを楽しむために医療が支える側にまわれば少ない人材、予算で十分に機能できるのですが、それを高齢化社会にうまく適応できなかったことで不満を持ち、いつしかお任せとなっている人達はモンスター化してしまっています。

 解決策はどちらも同じように思います。

 要はお任せを止めて、以前とは状況が変わって今までのやり方が通用しない現実を自分自身で受け止めて、今ある状態が恵まれているということを認識して感謝して、自分自身も汗をかき考える時間を作り、家族や地域社会も参加するということなのだと思います。

 ところが、高度成長期に良い思いをして実績も出ていると、既得権益にしがみ付き、以前のやり方を悪気が無くても止めようとしない結果、先送りして崩壊してしまいます。

 何となく高度成長期に必要な教育は「戦う教育」で、すでに成長してしまった今必要なのは本人や親、地域社会も参加して責任を持って、連携して学びをサポートしていく「支える教育」なのかも知れません。

 そう考えますと、まさに医療と教育の抱える問題は同じように思えませんか?  モアよりシェアへという言葉を普段私達は高齢化社会におけるケアを重視した医療に対して使っていますが、まさに教育にも使える言葉であるように思えます。どちらも崩壊している財政再建団体である夕張市にいるとそれが実感できます。

 大切なことはどちらも解決策はあり、それ程予算も必要なく意識を変えることで適応できるということなのだと思います。私は教育や医療といった分野以外にも、同じようなことがあるように感じています。

2011年9月12日(マックの思い出)

 マックというのは、夕張で訪問診療をしているあるお宅で飼っていた犬の名前です。マックはビーグル犬の雑種で年齢は15歳くらいと聞いていました。

 そのお宅へは、ここへ来た5年くらい前から訪問診療をしていて、患者さんは現在97歳の女性で、糖尿病で注射が必要な方ですが、耳が遠い以外は頭もしっかりしていて、折り鶴を折る名人でもあります。今でもお元気で同居しているご家族が熱心にケアしています。

 犬の寿命というのは諸説ありますが12~15歳くらいと言われていて、中型犬だったマックは人間にすると80歳~90歳くらいに相当するようです(こちらを参照)。最近では目も弱り、足腰も弱ってきていたマックは、夏が来るたびに食欲が無くなり、危ないと言われていましたが、病院にかかったりして何とか乗り越えてきていました。

 ここのご家族は、元々は息子さんと3人暮らしで、ご夫婦ともにうちの患者さんでもあります。お二人とも、とにかく人格者で、いつでも人のために何かをやっているような方達です。旦那さんは腰が悪くて通院しているのですが、住む人が少なくなり、高齢化した炭鉱住宅の中で、他人の家の分まで草刈りや雪かきといった仕事をいつもしておられます。

 最初は分からなかったのですが、訪問診療へ行っている97歳のお婆ちゃんの名字が違っていたので聞いてみると、ご夫婦が若い時にこの方にお世話になったので、身寄りのないこの方を引き取り、家族のように暮らしているとのことでした。

 そんなご家族の一員でもあったせいか、マックは物静かで、賢い犬で、何度か通っていると顔や声を覚えてくれて、この家へ行くたびに話をしていました。近所でもとても好かれていて、皆のアイドルになっていた様子です。元々犬好きの私は、この家に行ってマックの顔を見るのを楽しみにしていました。

 ある日の外来で今年の夏も暑くてマックが弱っていると奥様に聞き、休みの日に好物の魚肉ソーセージを買い、プライベートでご自宅へ出かけました。すると元気に散歩していて、私が買ってきたソーセージをかぶりつくように食べてくれて一安心しました。

 それから数日してマックが息を引き取ったという話を聞きました。97歳のお婆ちゃんも「私が代わりに逝けばよかった」と涙を流していました。

 私自身14歳の時に、飼っていたアイヌ犬の「チビ」が15歳で死にました。子供の時には散歩へ行くと、この犬に引きずられて大変な目に何回も遭いました。引っ越しの度に置いていこうとしてもついて来て、生まれた時から年上のこの犬が居なくなってから、私は犬が飼えなくなりました。

 犬も高齢化すると人格(?)と言いますか犬格が出てきて、人間の言葉や行動をかなり理解するように思えます。ペットというより完全に家族の一員になっています。

 高齢化社会の宿命で、どうしても大切な友人や尊敬する方との別れが多くなってしまいます。とても悲しいことですが、この土地を愛して、この地域で旅立っていく人たちを見守るのがこの仕事を選んだ人間の大切な役割だと思います。

 マックが居なくなってとても寂しいのですが、ここのお婆ちゃんが100歳を迎える日まで、マックの分まで、ご家族と一緒に支えていきたいと思っています。

 私は今月から週末は毎週のように講演に出かけます。スケジュールの調整も大変ですが、たくさんの皆さんに支えられて何とかできるようになりました。支える医療の仲間に感謝しながら、また新たな仲間を探して全国を飛び回りたいと思います。