スティーブ・ジョブズが急逝した10月6日(現地時間5日)の夜、私は何件かのテレビ取材を受けた後、お茶の水のデジタルハリウッド大学で行われていた追悼記念イベントに向かった。スピーチを求められ、ひな壇に上がると、後ろのスクリーンにはジョブズの写真が大写しで表示されていた。

 その時、自分が置かれた立場を見て、私が思い出していたのは奇しくもちょうど12年前の同じ日のスティーブ・ジョブズのことだった。

12年前との符合

 1999年10月6日(現地時間5日)の朝、ジョブズはデ・アンザ大学のフリント講堂の壇上に立っていた。ここは1984年に初代Macintosh――ジョブズが本当にやりたい通りにやり抜いて作った最初の製品――が発表された場所だ。

 講演の開始直後、ジョブズの後ろのスクリーンに映っていたのは、ある日本人の写真だった。製品発表直前の10月3日に急逝したソニーの創業者、盛田昭夫氏だ。脇には「Think different.」の文字が添えられていた。

 ジョブズは沈黙の後、自分が若かりし頃、ソニーからいかに影響を受けたかをわき上がる熱い思いを抑えるような口ぶりで語ると、最後に「今、我々が取り組んでいる製品が、天国にいる彼をほほえませてくれるとうれしい」と結び、製品発表に移った。

 この時、発表されたのはiMac DVというパソコンと、誰でも簡単に映像編集が楽しめるiMovieというソフトだった。その15カ月後、2001年1月には、音楽を管理するiTunesとDVDを作成するiDVDというソフトも加わり、ジョブズは「デジタルライフスタイル」時代の到来を予言した。

ソニー創業者の一人、盛田昭夫氏の写真の前でしゃべるスティーブ・ジョブズ氏(撮影:林信行)

 ビデオカメラも音楽プレーヤーも、カメラも、気がつけばすべてデジタルになっている。ならば、これらをパソコンでつないで、新時代のライフスタイルが築けるのではないか。それから十余年にわたって「デジタルライフスタイル」は、アップルの戦略の主軸となり続けている。

 同じ2001年の10月には、このデジタルライフスタイルを体現するハードウェアとしてiPodも登場した。ジョブズは、この製品で見事にソニーの精神を引き継ぎ、アップルを音楽業界をリードする存在に仕立てていった。

 2007年に、このiPodをさらに発展させたiPhoneが登場すると、ジョブズは社名を「アップル・コンピュータ社」から「アップル社」に変え、アップルをパソコン会社から卒業させる意志を示した。

 今やコンシューマーエレクトロニクスの分野で、アップルに比肩する企業はない。それを直感している世界中の人々が、アップルの株価を押し上げ、15年前に倒産寸前だった会社を、時価総額で世界の頂点にまで達してしまった。

大事なのは「本質」

 読者の中には、「iPhoneより凄い製品を知っている」という人がいるかもしれない。しかし大抵の場合、それは技術あるいは仕様に注目した場合の話だ。

 もし、技術だけでiPhoneが作れるのであれば、日本のメーカーがとっくの昔に作り上げていたはずだろう。だが、iPhoneはただの技術の塊ではない。

 90年代のコンシューマーエレクトロニクス分野では、いかに多くの機能を搭載し、いかに量販店で目立つかが勝負の鍵を握っていた。しかし、顧客はカタログの最後のページに記載された、一生使うこともない機能の山にダマされつづけていたと気づき始めている。

 本当に大事なのは、中途半端な質向上でも、機能の量でもなく、「その製品が本当に自分を幸せにしてくれる質を備えているか」が、大事だと気づき始めていた。世紀をまたいで登場したiPodは、そんな新時代の価値を体現してみせた最初の製品の1つだ。

 性能や機能については、あまり語るものを持たないが、とにかく手に取ってみたくなる優美さ、そして触るほどに楽しくなる使い心地は、他社がどんなに頑張っても、旧体制の組織や開発体制では、到底真似することができない。

 他社が機能や性能といった旧来の方法でiPodに勝負を挑み続ける中、アップルはさらに本質の追求と洗練を重ねてきた。やがて、これがiPhoneとして結実する。