ジョブズ氏ほど毀誉褒貶が分かれる人も少ないだろう。長年アップルについて記事を書いてきたフリーライターの本田雅一氏は、自身もアップル製品を愛用しながら、ときにはアップルに辛辣な批判もぶつけてきた。その本田雅一氏に、ジョブズ氏の逝去に当たって、その足跡を振り返る原稿を寄せてもらった。

 先週、アップル共同創設者のスティーブ・ジョブズ氏が永眠し、数多くの追悼記事が世界中で書かれた。アップルウォッチャーというわけではない私の元にも、”ジョブズ氏に対する追悼のコラムを”との依頼や、過去の実績の中で何が印象的だったか?といった質問が多くの新聞・雑誌の記者から届くほどである。

 偉大な発明家であり、偉大な経営者でもあったジョブズ氏とはいえ、海外企業トップの訃報に対して、これだけ多くの媒体が注目を集めるのは異例のことだ。筆者周囲の動きに、日本という社会に対して、ジョブズ氏が与えていた影響の大きさをうかがい知ったように感じた。

 ジョブズ氏の訃報を知った直後、最初に依頼のあった雑誌社に、私の追悼コラムは執筆済みである。このため、追悼コラムとは少し違う角度からITproには寄稿をしたい。

真のジョブズ氏を知る人はほとんどいない

 ジョブズ氏について、様々な媒体でいろいろなメッセージが交わされているが、ジャーナリストという立場で、ジョブズ氏の内面に触れたことのある人は、おそらく日本人にはほとんどいない。

 私も取材対象として、業界トレンドを推し測る材料として、常にジョブズ氏に注目はしていた。97年のアップル復帰後、日本の媒体からの単独取材をジョブズ氏がテレビのインタビューを受けたのは、私が知る限り、2001年、NHKのクローズアップ現代が最初で最後だったと思う。

 このほか日本経済新聞などによるジョブズ氏へのインタビューが、事業の節目ではあったものの、人物像を浮かび上がらせるまでの情報は、ほとんど公開されていない。回数も時間も非常に限られており、事業の節目の時期に、新しい時代への扉を開くための説明をするために取材を受けていた程度だ。

 したがって、私が知るジョブズ氏も、ジョブズ氏と一緒に仕事をしていた人々によって語られたものが大半だ。また、その伝聞もジョブズ氏と情報源となった人物の距離感や、共に働いた時代ごとに評価や印象もバラバラである。

独善的と言われるが人間的で深い側面も

 しかし97年のアップル復帰以降のジョブズ氏と近い間柄だった人物たちの意見として共通するのは、同氏が世間で言われているイメージほど、独善的でも、わがままな人物でもなかった、ということだ。

 たとえば、新しいプロジェクトを立ち上げ、推し進める際には、担当する幹部が力を発揮しやすいよう、自らが偶像として社内に対して強権的に振る舞い、それによって進むべき道の地ならしをしてくれていたと、ジョブズ氏と仕事をしていた人物は話していた。

 一方、NeXT時代に一緒に米国で仕事を手伝った人物に話を聞いていると、若い頃は本当に付き合いにくい人間だったのだろうとも感じる。しかし、若い頃の話だけでジョブズ氏の人格を語るのはフェアではないだろう。人生経験を積んだことで、アップルに復帰した後のジョブズ氏は以前とは変化していたのではないだろうか。

 同じくジョブズ氏と仕事をした別の人物は、シンガポールにジョブズ氏とともに出張した際、めずらしく「私がレストランを予約しよう」とジョブズ氏に食事に誘われた。ジョブズ氏にその席で「あなたが必要だ」とダイレクトに伝えられ、アップルに残るよう説得されたという。

 現在は米国の大手テクノロジ企業幹部となっている別の米国人は、97年以降のジョブズ氏との仕事を振り返って「短期の細かなトレンド予測は無理としながらも、長期の目標を立てて、担当幹部に権限を委譲し、やる気を起こさせた。その上で、自らが社内に対して教鞭を振るうことで、我々幹部の仕事がやりやすくなるよう配慮していた」と語っていた。

 確かに激しい気性であったことも確かなのだろう。しかし、同時に人間的で深い配慮のある側面を持ち合わせていたことは、心の留めておくべきかもしれない。今後、ジョブズ氏の足跡が見直される中で、その業績や行いが神格化されるのではなく、具体的にどのような考え方でアップルを立て直し、世界でもっとも価値の高いエレクトロニクス企業に仕立て上げたのか、ジョブズ氏のキャラクターではなく、経営者としてのジョブズ氏に注目が集まっていくのではないだろうか。