「大辞林」「ウィズダム英和・和英辞典」など斬新なユーザーインタフェースを持つアプリで高い評価を受け、日本を代表するiPhone・iPadアプリの開発者である物書堂の廣瀬 則仁氏に、原稿を寄せてもらった。

 いつかこの日はやってくると覚悟はできていて、そのとき自分は割と平気でいられると思っていたけど、スティーブ・ジョブズ氏の実際の訃報に接し、想像していた以上の喪失感に襲われました。

 この大きな喪失感はどこからやってくるのかを考えている時に、仕事場にぶら下げてある“Macworld Tokyo 2002 Keynote”と書かれたバッジが目に留まりました。

“Macworld Tokyo 2002 Keynote”と書かれたバッジ

 このバッジは、私がリーダーとして開発していたソフトが、Macworld Tokyo 2002 Keynoteでデモされたときの関係者用バッジです。いつもお守りとしてこのバッジを仕事場にぶら下げていますが、バッジの向こうにはいつもスティーブがいていつも見守っている、というか見張っていてくれて、それが私の心の支えになっていたんだなと改めて気づき、どこからともなくやってくる大きな喪失感の理由を理解しました。

高い基準を周囲に認めさせるすごさがある

 僕がスティーブ・ジョブズ氏を初めて目にしたのは、日本での最後の開催となった2002年のMacworld Tokyoでした。僕が開発リーダーをつとめていたソフトがスティーブのKeynoteでデモをする機会を与えられたのです。でもお話をいただいてからがものすごく大変。最終決定するまでにデモ素材を何度も作り直し、ようやくスティーブの要求する厳しい基準をクリアすることができたのです。

 その基準というのは、普通の感覚からすれば「そこまでする必要あるの?」というもので、やる側にすれば「なぜそこまでしなければならないのか」を周囲に理解してもらうだけで、うんざりしてしまうようなものでした。

 スティーブのすごいところは、この高い基準を当たり前にしているところだと思います。当たり前というのは、「誰もがそれを当たり前だ」と思っている状態のことです。Keynoteのリハーサル会場でも、スタッフたちはすばらしい仕事をしていました。ミスの許されないKeynoteを完璧にやり遂げるために彼らは非常に高い志をもって効率的に仕事をしていました。こういうのを「プロ」っていうんだな、と実感しました。

 それ以来、僕はKeynoteのバッジをいつも近くに置いて、彼らの高い基準を自分にも課して仕事をしてきました。もちろんアップルのようなすばらしいものを作り上げることはなかなかできませんが、スティーブがKeynoteでデモしてくれるような製品を作ろうと取り組んできました。