去る2011年5月2日、米軍は「オペレーション・ジェロニモ」と呼ばれる作戦を決行した。アメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるオサマ・ビンラディンが潜伏しているパキスタンの隠れ家をSEALs(アメリカ海軍特殊部隊)が奇襲し、捕捉・殺害した。

 こうした現地での地上戦は、作戦全体から見ればごく一部にすぎない。この戦いの勝敗を大きく左右したのはインテリジェンス・ウォー、すなわち情報の戦いなのである。

膨大な情報の精査・分析でビンラディンの所在を把握

外交ジャーナリスト・作家 手嶋 龍一 氏
外交ジャーナリスト・作家
手嶋 龍一 氏

 9・11後、米国は大勢のテロリストとテロリスト予備軍を捕らえ、米国からはるか1万3000キロに浮かぶカリブ海の島にあるグァンタナモ海軍基地に収容した。そこで徹底した尋問を繰り返し、ビンラディンの行方を追及した。その調査手法は、膨大な量にのぼる供述を記録し、収容者相互の供述のどこにどのような矛盾があるかを「テロリストのマトリクス」として作成し、精査していくものである。まさに気の遠くなるような作業を粘り強く続けて標的に迫っていった。

 それと並行し、膨大な量のインターネットの通信記録や電話の傍受記録の内容による裏付け作業も繰り返した。その結果、2007年になってクーリエ(連絡役)の存在を明らかにし、ついに本名を特定したのだった。その連絡役を徹底的にマークした結果、彼がイスラマバードの北55kmのアボタバードにある豪邸に出入りしていることを突き止めた。そして最終的に、それがビンラディンの隠れ家だと断定したのである。ビンラディン本人が目撃されたわけでも、声が傍受されたわけでもない。

 その後、2011年3月からオペレーション・ジェロニモの作戦会議を重ね、4月29日にオバマ大統領が実行命令を下す。オバマ大統領は、その前日、命令書に署名をした瞬間にすべての結果責任を自らが負わなければならないことを重く受け止め、一旦は命令書を持ち帰った。一晩、力の行使に踏み切るべきか否かを一人で沈思黙考した後、決断したという。

 オバマ大統領は、オペレーション・ジェロニモを終えてホワイトハウスで次のように語った。「作戦行動を起こすに足る十分なインテリジェンスがあると決断し、オサマ・ビンラディンを捕えて、正義を行う作戦を命じた」。これほど非常に正確な文脈でインテリジェンスという言葉を使った大統領演説をほかに知らない。

インテリジェンスの訳は「情報」では不十分

 インテリジェンスは、一般には「情報」と訳されるが、膨大な一般情報(インフォメーション)の海から貴重な情報の原石を選り抜き、その真贋を確かめ、周到な分析を加え、最後の一滴にまで蒸留したものを指す。組織の舵取りを委ねられた者、米国では大統領、日本では内閣総理大臣、企業では社長が重大な決断を下すに当たって拠り所とするよう厳選された情報こそインテリジェンスと呼ぶ。

 それゆえ、いかなる国家や組織もインテリジェンスに基づいて誤りなき意思決定を下すために「インテリジェンス・サイクル」を備えていなければならない。決断を委ねられた者、すなわち国家や組織のリーダーは部下に対し、自らが関心を持つ情報の領域を伝え、膨大なインフォメーションを収集させ、その選別をさせ、真贋を判定し、分析を加えた報告書の提出を求める。かくして情報のサイクルを粛々と回していくのである。

 3月11日に発生した東日本大震災では、東北地方を中心に大きな地震と津波が襲い、甚大な被害が発生しただけでなく、それに伴って東京電力福島第1原子力発電所で重大な事故が発生した。

 この原発事故をめぐる政府の一連の対応を「インテリジェンス・サイクル」という視点から検討してみると、まったくと言っていいほど機能していなかったことに気付く。

 事故発生直後にはかろうじて制御棒が降りて、原子炉は止まったが、緊急の冷却装置は正常に働かず、そのまま手をこまぬいていれば、やがてはメルトダウン、メルトスルーに至る可能性があることは明らかだった。そうした状況の中で、総理大臣は詳細な情報の収集を指示し、原子力安全委員会の知見などを得ながら、遅くとも3月11日深夜に重大な決断を下さなければならなかったはずだ。総理大臣は、廃炉を覚悟に大量の海水の注入を命じるとともに、国際的な緊急コミッティを立ち上げて米国やフランスなどの協力を仰ぎながら対処していくべきだった。

リーダーが念頭に置くべき“Think the Unthinkable”

 米国のメディアは、こうした原発事故をめぐる一連の事態をとらえて、「FUKUSHIMAにブラック・スワンが舞い降りた」と報じ、白鳥が漆黒の羽をまとって日本に出現したと表現した。ブラック・スワンは、これまでの経験則では予測できず、大きな影響を及ぼす不吉な出来事という意味を込めたのだ。

 核の時代では、数秒でも判断が遅れれば、人類は滅びてしまう。シカゴ大学教授で核戦略を講じたアルバート・ウォルステッター博士は「核の時代の語り部」と呼ばれ、精緻な核抑止理論を構築した。博士の門下には、2001年1月からブッシュ前大統領のもとで国防副長官を務めたポール・ウォルフォウィッツ、“闇のプリンス(ThePrince of Darkness)”と呼ばれ、米ソ核交渉の主役を務めたリチャード・パールなどの俊秀が集まった。

 彼らに博士が言い聞かせた言葉は“Think the Unthinkable”。危機に臨んでそれに立ち向かわなければならない者は、想像すらできない事態を常に想定し、自らを厳しい環境に置いて、危機に備えておけ、と教えた。想定外と言い張る人々と博士の教えの間には大きな隔たりがある。

 幸い、これだけの災厄に遭遇しながら、隣人のために手を差し伸べ、復旧に力を尽くす被災者に対する敬意のまなざしが世界各国から注がれている。そのため、日本を救うことは国際社会の大義ととらえられ、途上国を含めた多数の国々からおびただしい支援が集まっている。

 国際社会の視線が錯綜する中で、今後、どのようなリーダーに国の舵取りを委ね、いかなる針路へと進んでいくべきなのか。世界第3位の経済大国である日本は、国際社会のためにも誤りなき航路を選ばなければならない。