村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2011年8月1日(丁未風致公園)

 私が夕張に住んでいてお気に入りの場所の一つに丁未(ていみ)風致公園があります。夕張医療センターの目の前を走る、夕張-岩見沢線を3kmほど登っていくと山の頂上付近に公園が開けています。

 道路はかなりのワインディングロードで、山腹を縫うように走っているので眺めも良くて、標高が高いので夏でも涼しくて、バイクの方やスポーツカーに乗っている方にはとても楽しいコースです。

 いつもでしたら、春先の雪崩のシーズン以外はここを通って万字や美流渡、毛陽という温泉のある地域に抜けて行くのですが、今年の春先に道路の一部が壊れてしまい、今は風致公園の所からは閉鎖されています。

 私は毛陽にあるメープルロッジというログハウスでフィンランド式のサウナがある温泉がお気に入りで、回数券も持っているほどですが、この道路が閉鎖されていると夕張からはかなりの遠回りになります。(編者註:メープルロッジのサイトはこちら

 丁未風致公園は標高650mの高原に整備された27ヘクタールの広大な自然公園です。以前は駐車場、レストハウス、野外バーベキューコーナー(1000人収容)、大草原キャンプ場、山の家、キャンプハウス、展望台、周景池、ハイキングコース等があり、かなり本格的な施設でした。

 展望台からは夕張岳や日高連山、石狩平野、日本海も見ることができて、夏でも涼しい風が吹く気持ちのいい場所です。以前の写真はこちらこちらでご覧になってみてください。

 破綻前は夕張の娯楽というと、錦沢公園に行ったり、風致公園で長沼ジンギスカンを食べるというのが定番だったようです。

 山の上に位置する丁未ですが、昔は学校や住宅が立ち並び、たくさんの人の生活の場でもあったそうですが、炭鉱が無くなってからは見事に住宅等の建物が無くなり、今では送電線や家の土台や生活道路といった痕跡を残すのみになっています。

 以前は公園内の道路にも車で入れたようですが、最近では閉鎖されています。敷地内は案外きれいに整備されていて、草刈りはされていますし、駐車場に車を止めて歩いて入ることは可能です。

 キャンプ場やレストハウスその他の施設も眠ったままになっていて、残念ながら素晴らしい眺めの展望台までの道には草が生い茂り、上るのが大変になっています。他の施設と同じようにこのまま遺跡になっていくのかも知れません。

 それでも私は時間があるとドライブや写真撮影のために出かけて行き、徒歩で風景を楽しみ、四季の移ろいをカメラに収めてはコースをトレッキングして汗を流しています。

 地元の人は案外「何もない」といって足を運ばないのですが、「以前に何かあって何も無くなった場所」だからこそ価値があるように思えます。ルーチェ・ソラーレのある夕張駅から4kmくらいの距離ですので、夕張へお越しの際にはぜひ立ち寄ってみてほしい場所です。

 今週末は再び被災地へ向かいます。今回で第8班になると思いますが、すでに医師や看護師のほか、事務職員や介護職員も支援に出かけてきました。今回は広報担当の方や、支える医療研究所主任子供研究員の中学生の方にも同行してもらい、違う年代、立場の方に現場を経験してもらい、一人でも多くの方に現状をお知らせして次の支援につなげていきたいと思います。

 支援に行った記録は報告会を開いて他の職員にも現場の状況を知ってもらっていますが、今後は夕張市民の皆さんにも報告会を開いてお伝えしたいと思っています。

 多くの皆様に支援していただきましたので、今後はうちの職員ばかりではなく、北海道に住んでいて支援に行きたいが、資金もつても無い方を被災地支援に行けるようにしていきたいと思います。ご希望の方が居ましたら支える医療研究所までご連絡ください。

 今年の夕張の夏は随分涼しくて、石炭の歴史村遊園地跡の紅葉が紅葉していました。ぜひ涼しい北海道のさらに涼しい夕張へ来て、天然のエアコンと旬の夕張メロンをお楽しみください。

2011年8月8日(2回目の気仙沼支援活動)

 7月29日から31日までの3日間、時間を頂きまして2回目の気仙沼の医療支援に出かけてきました。いつもは私の研修先でもあった岩手県藤沢町民病院への支援だったのですが、今回は私より先に支援に入っていた横田副所長の紹介で、気仙沼で活動している巡回療養支援隊(JRS)のお手伝いをさせていただきました。

 また、今回は医療者ばかりではなく、多くの皆さんに被災地の状況をたくさんの視点で報告する目的で、支える医療研究所の広報担当のbeniさん、事務担当の須藤彩子さん、そして支える医療研究所 子供主席研究員の須藤リトさん(13歳)も同行してもらいました。

 どうしても医療支援で被災地へ入ると、現場の取材や活動を記録する時間が無いので、今回はきちんと記録を残して、支援をしてくださった皆さんへ報告をしようと考えました。

 29日はまず飛行機で新千歳から花巻空港へ飛び、花巻空港に夕張希望の杜の軽自動車が常駐していますので、この車に乗って岩手県藤沢町の佐藤元美先生の所へご挨拶に向かいました。

 いつも支援活動や研修を受け入れていただいていますので、そのお礼のためでしたが、藤沢はいつものように忙しくて、緊急手術が入り30分ほどの面会になりました。師匠の顔を見ることが、私にとっては一番の励みになる時間です。

 翌日の朝から気仙沼のイオンの駐車場にあるJRSの本部であるトレーラーハウスから、訪問診療に出かけました。ここのイオンも津波の被害を受けていて、1階部分はほとんど使われていない状態ですが、2階部分から徐々に営業を再開していました。

 JRSは義援金で運営されており、現場で被災された村岡先生のほか多くのボランティアによって、在宅療養をしている方の医療支援を行っています。地震と津波で多くの医療機関や福祉施設も被害を受けて、在宅で療養する人達もなかなか医療を受けられないような状況です。

 夕張でも感じることですが、在宅で療養する方の多くはその地域に愛着を持ち、多少不便や不安があってもご家族が一生懸命に高齢者を支えています。

 何軒か訪問した中で、葬儀屋を営む方のご自宅を訪問した時のことが印象に残っています。ご家族も被災直後から超多忙になり、寝る暇もない状況が続いていたのだそうです。あまりにも被害が大きかったために、棺が足りなくなりお断りする場面もあったと聞きました。時間に関係ない仕事のために不眠となり、随分やせたとおっしゃっていました。

 電動ベッドが停電で動かなくなり、座った状態で固定されていたために褥瘡(じょくそう)が出来てしまった方、身内を亡くした方など、今回の被害の大きさの一端を感じることができました。

 空き時間に陸前高田や気仙沼の被災地を見て歩きました。天候には恵まれずに雨の中、歩く場面が多かったのですが、とにかく被害に遭った車が多くて驚きました。

 陸前高田はがれきがかなり片付けられて、更地が広がり、所々にがれきの山とビルが並び、ビルに入ると中はグチャグチャになっていて、むき出しの鉄骨の表面には所々はげ落ちたアスベストが見られました。

 気仙沼は下水が機能してないせいか、雨や大潮の時にはあちこちの道路が冠水します。臭いもすごくて害虫の発生が問題になっていました。

 一見片付いているのですが、よく見るとまだまだ問題が山積みで、大きな船が内陸部に残されていて、倒れないように鉄骨で固定されていました。今回はテレビ局の取材も入ったので、近いうちにその様子が放送されると思います。

 さて、主席子供研究員である中学生のリトちゃんの目には被災地はどう映ったのでしょうか。カメラやビデオを持ってもらい、彼女なりに撮影してもらいました。ツイッターやブログでその様子を報告していますので、ぜひ一度ご覧になってみてください。

 近日中に夕張で寄付を頂いた市民の皆さんを対象に報告会を開き、鈴木市長にも参加してもらい、報告会を開く予定です。今まで全国から支援してもらった夕張市が、今度は被災地の支援ができるようになったのですからうれしい限りです。私も講演活動の中で寄付のお願いと被災地の支援報告という形で写真を使わせていただいています。

 被災地の復興は、まだまだ時間がかかるというのが素直な感想で、私達も多くの皆さん方に協力を頂きながら、細く長く支援を続けて行こうと思います。是非、多くの皆様の参加をお願いいたします。

8月15日(ヒグマに出会ってしまったら)

 北海道に住んでいますと、たとえ札幌に住んでいてもヒグマが出たという話を聞きます。私は子供の頃から北海道の田舎に住んでいたことが多く、山菜取りや釣りなどをしている時に、実際に何度か遭遇したことがあります。近くにヒグマがいると独特な臭いがします。

 瀬棚に住んでいた時にも時々町内の放送でヒグマの出現を知らせる放送がありました。「○○さんの畑で熊が出ています。お子さんが一人でその付近へ行かないように注意してください」といったのが何回かありました。恐ろしく聞こえるかも知れませんが、住んでいるといつものことですので、会わないように気を付けて生活していたのを覚えています。

 今でも休みになると夕張付近の山に出かけて、炭鉱の跡地や眺めのよいところへ行っては写真を撮り歩いていますし、お客さんが来た時に案内したりもしていますので、いつも鈴や笛、クマ用のスプレーを持ち歩いています。

 さて、クマと遭遇してしまったらどうしたらいのか。皆さんは聞いたことがあるでしょうか。

 「目を合わせて後ずさりする」「死んだふりをする」「とにかく逃げる」「木に登る」など諸説聞いたことがあるかも知れませんが、この度いつも取材に来ているHTBのイチオシでMIKIOジャーナルを担当するビデオジャーナリストの阿部幹雄さんの紹介で専門家の話を聞く機会がありましたので少し紹介したいと思います。

 8月10日に札幌の「かでる2・7(北海道立道民活動センタービル)」で公益財団法人 知床財団の山中正実先生による講演会がありました。演題は「ヒグマによる事故を防ぐために」という題でした。山中先生は学生時代から北大ヒグマ研究グループに所属していたヒグマ研究の日本の第一人者です。仕事が終わってから大急ぎで札幌に向かい、少し遅刻しましたが、実践的で大変面白い講演でした。

 ヒグマによる事故を防ぐために大切なことは、とにかくヒグマと出会わないようにすることです。
(1)自分の存在をクマに知らせてやる。物音や声を出して行動する。
(2)ヒグマの餌場には近づかない
(3)足跡やふんなどのヒグマの痕跡に注意する
(4)ヒグマを誘引しない、危険なクマを作らない
といったことが要点だそうです。

 元々ヒグマは人間の存在を知るとクマの方で避けてくれるのですが、至近距離で出会うと自己防衛のために攻撃行動に走る危険性があります。

 山菜や木の実、鮭などはクマの好物ですし、エゾシカの死体なども好物なので近づかない方がいいそうです。それとゴミなどをその場に放置したり、投げていくことがクマを人に近づけてしまう一番危険な行動になります。したがって餌やりなどは絶対にしてはいけない行為だそうです。

 万が一出会ってしまった場合、とにかく慌てないことが大切だそうです。大声を出したり、走って逃げることは危険で、犬と同じく本能的に走って逃げるものを追いかける習性があるそうですので、小声で話しながら手を振ったりしてゆっくりと離れていくことが大切だそうです。走る速度は人間よりはるかに速く、木登りも上手です。

 アウトドアショップで売っているクマ用のスプレーがありますが、これは非常に有効だそうです。(クマスプレー問い合わせ先 アウトバック

 最近知床などでは人に慣れてしまったクマが増えてしまい、人間の存在を気にしないで行動してしまうために、新たな対応が必要になってきているのだそうです。

 さらに詳しく知りたい方は「ヒグマとの遭遇回避と遭遇時の対応に関するマニュアル」(知床財団 山中正実著)という本がありますので、知床財団までお問い合わせください。

 いずれにしても、クマの生息地に人間が入り込んでいって起こっていることですので、一方的に駆除して解決するのではなく、彼らを理解し適度な距離を置いて付き合っていけるようにしていきたいものです。