今回の顧客満足度調査や、ユーザー企業の取材を通して浮かび上がった言葉が「絆」だ。「危機に直面して初めて、ITベンダーの本当の姿や本音が分かった」。ユーザー各社のシステム部長や担当者は異口同音にこう語る。ユーザー企業はITベンダーの何に感謝し、何に不満を感じたのか---。

 「余震だ!外に出ろ!」。東日本大震災から2日が過ぎた3月13日、もぬけの殻のはずの福島県国見町役場の建物から、約10人がかけ声と共にノートPCやPCサーバーを抱えて飛び出してきた。その中には国見町役場の職員のほか、ITベンダーのSEや営業担当者の姿があった。余震が落ち着くと「さぁ、もう少しだ。日が暮れる前にすべて運び出そう」と声を掛け合い、再び役場の中に入っていった。

 福島県の最北端に位置する国見町は、人口1万人の小さな町だ。3月11日には震度6強の揺れが襲いかかり、庁舎はぼろぼろになった。地盤は液状化し、天井ははがれ落ち、サーバールームのサーバーラックは大きくずれた。

 同日夕刻、国見町長は西に500mほど離れた文化センターに役場機能をすべて移すことを決定。余震は続いていたが、13日中に約50台のサーバーと約130台のノートPC、LANケーブルや周辺機器を、被災した町役場から文字通り「救出」した。

 文化センターの舞台をサーバールームに見立て、庁内システムを急いで整備した()。その結果、地震から2週間後の3月25日には、役場としての業務を完全に再開できた。

 システムの引っ越しを指揮したのが、半澤一隆企画情報課企画情報係主査だ(写真)。「電気やガソリン、食料や水が不足するなかで、すぐに駆けつけてくれたITベンダーと、私たちを見捨てたITベンダーがあった」と話す。

図●震災により役場機能を近隣の文化センターに移した国見町
図●震災により役場機能を近隣の文化センターに移した国見町
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写真●福島県国見町の半澤一隆企画情報課企画情報係主任
写真●福島県国見町の半澤一隆企画情報課企画情報係主任