ITの重要性が増す一方で、情報システム構築プロジェクトの失敗が後を絶たない。ビジネスプロセス・アーキテクト協会(BPA-P協会)はプロジェクトの成功確率を上げるヒントを得るため、「プロジェクトのつぶやき」研究チームを立ち上げた。本連載は研究チームによる成果の一端を、エピソード形式で紹介している。

 前回(ベンダーべったりの態度が失敗を招く)では、ベンダーべったりの態度を採る企業を紹介した。今回は、情報システム部員をなかなか異動させることができない、二部上場の中堅商社T社の例を紹介しよう。


 T社は部分的にパッケージソフトを利用しているものの、これまで基本的に自前で情報システムを構築してきた。現行のシステムは老朽化が進み、何回も改変を繰り返していることに加えて、ドキュメントなども整備されていないので、保守性の悪さが問題になっている。

 現状では、情報システム部門の特定メンバーが長期にわたり、システムの保守を担当している。システムの保守切れが近づいており、システム再構築は避けて通れない状況だ。

1年め:社長室
「異動させると売上報告が遅れますよ」

 社長室に佐藤社長、内川管理部長、前田システム部長、田中営業部長が集まり、次の人事異動について検討している。これから、入社5年目の情報システム部員であるA氏について議論を始めるところだ。

 取締役管理部長を務める内川氏は、会社にとってあるべき姿を主張するので、他の部門から煙たがられることもある。それでも粘り強く実現に取り組む姿勢が評価されており、佐藤社長からの信任も厚い。

 内川氏は、専門家集団である情報システム部門の人事ローテーションがなかなか進まないことを問題視しており、社長に繰り返しローテーションをもっと積極的に進めるよう提案していた。T社の情報システムは古く、開発・運用にはベテランの技が要る。だからといって、システム部員を塩漬けにしたままでは、技術やノウハウを移転するチャンスを逸してしまう。今ならA君の先輩も在籍しているし、ローテーションしても問題はない。内川氏はこう考えていた。

 今回の会議にあたり、内川氏は「A氏を営業部門に異動させる」という案を事前に社長に説明しており、承諾も取り付けていた。あとは、前田部長や田中部長が賛成してくれるかどうかだ。やや不安を抱きつつ、内川氏は説明を始めた。

内川管理部長:…以上のことから、今回の人事異動では管理部門や情報システム部門も含め、人事異動計画を立案しました。転出部門、受け入れ部門とも何かと大変だとは思いますが、ご協力をお願いいたします。

田中営業部長:うちに来るA君って、入社以来、情報システム部門一筋だったんですね…。でも、大丈夫そうだな。まだ入社5年目だし、若いので営業部門でも十分活躍できると思いますよ。

田中営業部長のホンネ
何しろ人手不足なんだから、助かるな。

前田システム部長:(田中氏の発言を聞き、慌てて)ちょっと待ってください。人事ローテーションが必要なのは分かりますよ。だけど、A君は販売システムを担当しているんです。ご存じのように、当社の販売システムでは古いパッケージを使っています。A君のような職人技の持ち主でないと、面倒を見るのが困難な状況です。

 そんな状態で、A君が異動したらどうなると思います? たちまち販売システムの運用に支障が生じますよ。経理や人事システムだって同じ状況です。それぞれ専門に担当するメンバーがいて、そのメンバーが抜けると運用が難しくなってしまいます。

内川管理部長:前田部長の言われることはよく分かります。ただ、人事ローテーションは人材の能力開発や適正配置のためにとても重要です。確かに各部門に無理をお願いしていますが、それも一時的なものです。ぜひ、ご協力いただけませんか。

前田システム部長:もちろん、私だって人事ローテーションの重要性は理解しているつもりです。ですが現実問題として、我々情報システム部門が担当しているシステムの開発や運用などには、専門的技能が求められます。簡単には人を動かせないんです。それでもA君を異動させるのであれば、売上・利益報告の問題への対応がより遅れますよ。それでもいいんですか?

 売上・利益報告の問題とは、システムが古いために売上や利益の報告が遅いことを指す。佐藤社長は常々、この問題への不満を指摘していた。

佐藤社長:…そうだな。人事ローテーションは確かに重要だ。しかし、システムの運用が止まったり、売上・利益報告に影響が出たりする事態は何としても避けたい。今回は、情報システム部門の人事異動は保留としよう。内川部長、次回はこういう問題が出てこないように考えてくれないか。

内川管理部長のホンネ
えっ? 先日の説明ではOKだったじゃないですか…
前田システム部長のホンネ
やれやれ、一安心だ。重要な戦力をとられずに済んだ。