プロ野球ファンに特定チームを好きになったきっかけを問うと「父親が応援していた」「生まれが広島だから」といった家族や出身地に起因する回答が多い。こうした答えは、球団の運営会社にとってマーケティング戦略上、有効な情報とはいえない。親のひいきチームや生まれ育った場所は変えられないからだ。

 新たなファンを開拓し、観客を増やすには何に力を入れるべきなのか。北海道日本ハムファイターズ(札幌市)は2008年から3年間の計画で、その手がかりを見つける研究に取り組んでいる(図1)。この研究は経済産業省の委託事業として、独立行政法人産業技術総合研究所と提携して進めている。

図1●地域密着で観客動員を伸ばす
図1●地域密着で観客動員を伸ばす
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 日本ハムと産総研の研究は、「サービスサイエンス」あるいは「サービス工学」と呼ばれるものだ。サービス産業の生産性を向上させるために、科学的な手法を用いてサービスの利用者や現場を調べる。製造業と比べて、勘や経験に頼りがちといわれるサービス業を進化させる手法として近年注目を集めている。

 2004年に札幌に本拠地を移転した日本ハムは、集客ビジネスにおけるファン拡大とリピーター確保のプロセスを解明するうえで最適な企業といえる。北海道日本ハムファイターズの前沢賢事業推進部部長は「ここ2年ほどで、ファン心理についていろいろなことが分かってきた」と打ち明ける。

 「親の代からのファン」という人は当然いない。一般的な札幌市民が熱心なファンへと変わっていくプロセスが、この7年間に確実に起こっている。明確なきっかけや心の動きまで突き止められれば、プロ野球観戦でのファンのインサイトを探り当てることができる。心理的な変化を生んだ出来事や状況を再現できれば、ファンやリピーターの増加につながるはずだ。

観戦につながる4つの因子を探る

 日本ハムはまず、ファンクラブメンバー3000人に観戦経験などを聞くウェブアンケートを実施。その結果を基に選んだ30人にグループインタビューに参加してもらい、そこでモニターとしての適性などを見極めて、最終的に「エリートモニター」と呼ぶ9人を抽出した。

 このエリートモニターには、試合中どこを見ているのかを調べる視線カメラや、会話を録音するマイク、心拍数の記録装置などを装着したうえで、札幌ドームでの主催試合を観戦してもらった。また、このモニターの観戦風景も録画した。

 試合後に「何が楽しかったのですか?」などと問うだけでは、表層的な感想しか得られず、より深いファン心理には迫れない。心拍数の変化から得た、平均3時間に及ぶ試合の中で感動した瞬間の心の動きや行動について詳細をデプスインタビューで解き明かしていった。

 こうした調査から、日本ハムと産総研は観客を心理的なステージで「プレファン」「ファン」「リピーター」の3段階に分類した(図2)。さらに、札幌ドームでの観戦につながる因子を突き止めた。具体的には、プロ野球を観戦したい「野球因子」と地元チームを応援したい「郷土因子」、興味がある選手を応援したい「選手因子」、観戦で盛り上がりたい「共有因子」の4つだ。

図2●ファンとしての進化を観察やインタビューで解明
図2●ファンとしての進化を観察やインタビューで解明
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 ここ数年、日本ハムをはじめとするプロ野球球団の運営会社は、CRM(顧客情報管理)システムの構築に力を入れている。ファンクラブ会員の来場やグッズ購入の履歴を分析するためだ。しかし、購買記録から分かるのは最重要顧客としてのレベルにすぎない。どんなときに試合に足を運ぼうと考えるのか、友人や家族を観戦に誘ってくれるようなキーマン的な存在なのか、といったことまでは見えてこない。

 しかし、サービスサイエンスの手法を使えば、現場でしか分からないことや、POS(販売時点情報管理)データからは見えない消費者のインサイトに迫れる。前沢部長は「実際の施策に生かすのはこれからになるが、将来的には他球団にも役立つような研究成果を提供したい」と話す。

球場内の音に注目

 研究3年目の2010年8月からは、球場内で観客が耳にする音をテーマにした調査も始めている。

 観客は選手やボールの動きのすべてを目で追っているわけではない。実は応援団の演奏など耳から入ってくる情報にも反応し、楽しんでいるのだ。そこで、試合観戦中のモニターの心拍数を測って、耳にした音の大きさや高低との相関を測ろうとしている。

 前沢部長は「音と顧客満足度の関係が詳しく分かるようになれば、音響面の演出や球場内のスピーカーの設置の仕方を見直す必要が出てくることも考えられる」と話す。稲葉篤紀外野手が打席に入る際に、ファンが全員で飛び跳ねてドームを揺らす、札幌ドーム名物の「稲葉ジャンプ」が、インサイトといかなる関係があるのかが科学的に証明される日が来るかもしれない。