成熟した市場で新製品を投入する際には、消費者のインサイトの変化をとらえられなければ、既存商品からシェアを奪えない。逆にそれがうまくいけば既存商品との差異化が容易になる。

 ライオンは2010年1月に発売した洗濯用コンパクト液体洗剤「トップ ナノックス」を半年間で約1400万個売り上げた。当初の販売目標を30%ほど上回ったこともあり、同社の液体洗剤の売上高は前年同期比で1.6倍に達した。

 洗剤の宣伝広告ではこれまで、油汚れの除去や白さなど、「目に見える汚れ」を落とす機能をうたったものが多かった。だが、ナノックスは「見えないにおい汚れ」への強さを前面に押し出して大ヒットにつなげた。ライオンは主婦たちが洗剤に求める特徴や機能が年々変わっていることを、観察やインタビューなどから突き止めていた。

 変化をとらえた同社の定性調査は、「エスノグラフィー」と呼ばれる手法と似ている。もともと文化人類学から生まれた言葉で、未開の土地に住む部族や特殊な社会に入り込んで、長期間かけて生活様式や習慣を調べるフィールドワークを指す。

 表層的なアンケートからは浮かび上がらないインサイトを調べる方法として近年、マーケティングの世界でも知られるようになっている。エスノグラフィー的な調査からヒットの糸口をたぐり寄せたことが、ナノックスの成功要因である。

洗浄力よりにおい落としに焦点

 ナノックスは植物油脂を原料とする洗浄成分「メチルエステルエトキシレート(MEE)」の効率的な生産方法が2005年に確立されたのを機に、商品開発が始まった。消費者のインサイトを突き止めたうえで技術研究を始めたわけではなく、マーケティング担当者は当初、MEEが持つ高い洗浄力を分かりやすく伝える役割を担っていた。

 ただし、この役割は簡単なことではない。ライオン自身や競合企業は、これまでも様々な宣伝コピーやテレビCMなどで新製品の特徴を表現してきた。家電メーカーも毎年、新しい機能を持った洗濯機を開発する。高い洗浄力は当たり前。「驚きの白さ」に消費者は驚かない時代なのだ。

 そもそも日本人は他国と比べて清潔好きだといわれる。ライオンが2010年に東京、ベルリン、ソウルの3都市で30~40代の既婚女性に対して実施したインターネット調査でも、日本人の洗濯好きは際立っていた。毎日洗濯する人の割合は、ベルリンの3倍、ソウルの4倍である。これだけこまめに洗っているならば、衣服は目に見える汚れがあまりないまま洗濯機に放り込まれているはずだ。ならば、新世代の洗剤は何を洗えばよいのか。

写真●「トップ ナノックス」(写真右)の企画を担当した、ファブリックケア事業部の松井尚子副主任部員
写真●「トップ ナノックス」(写真右)の企画を担当した、ファブリックケア事業部の松井尚子副主任部員
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 ハウスホールド事業本部ファブリックケア事業部の松井尚子副主任部員(写真)は「毎日洗濯するということは、目で汚れを見つけて洗濯機を回すわけではない。むしろ、汚れはにおいで確認しているのではないか」と考えた。松井氏はこの仮説を確かめるため、2007年ごろから洗濯に対してこだわりを持つ主婦らを集めてグループインタビューを定期的に開いていた。2007年当時は、液体洗剤の市場は急成長していたものの、粉末洗剤のほうが市場規模は大きかった。「洗剤なんて何でもいいわ」ではなく、「『洗浄力が高そうだから、液体洗剤を試そうかな』と考えてくれる層」(松井氏)の意見を知りたかったのだ。