あらゆる施策がはまった─。

 サントリーが2008年に始めた「角ハイボール」作戦は、そう呼べそうなほど短期間で成果が表れた。2008年12月期、2009年12月期と2期連続で同社のウイスキー出荷量は前年を上回った。「角瓶」をソーダで割って飲む「角ハイボール」が、全国の酒場を巻き込んで大きなブームとなったことが大きい。角瓶は原酒不足の懸念から、2010年6月以降出荷量を調整しているほどだ。

写真1●スピリッツ事業部副事部長兼ウイスキー部長の水谷徹執行役員
写真1●スピリッツ事業部副事部長兼ウイスキー部長の水谷徹執行役員
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 スピリッツ事業部副事部長兼ウイスキー部長を務める執行役員の水谷徹(写真1)は、2008年4月からウイスキー事業を指揮してきた。「最初から消費者のインサイトを見抜いていたわけではない」と謙遜するが、若者の飲み方の変化をとらえたマーケティング戦略の転換が奏功したことは間違いない。

 サントリーは長らく低迷するウイスキー市場の打開策として、なぜ角ハイボールを投入したのか。どのような要素が受け入れられたのか。その軌跡からは消費者のインサイトを突くマーケティングの重要性が見えてくる。

 サントリーは角ハイボールに力を入れるまでの数年間、ウイスキー文化の普及という、いわば王道的なマーケティング活動を展開していた。山崎蒸留所(大阪府島本町)に外食や酒販店の関係者や一般消費者らを招いて、ブレンダーたちが自ら歴史や醸造の難しさを語ったり、社員たちが「ウイスキーアンバサダー」と呼ぶ社内資格を取得したりするなど、1923年に始めた“家業”を再認識する動きで盛り上げていた。

 こうした活動がウイスキー事業にとってマイナスになることはない。水谷も「社内にウイスキー好きが増えたし、関心も高まった」と話す。だが、ウイスキーという商品を巡る市場環境は変わらなかった。2006年にリニューアルした「オールド」は一時息を吹き返したものの、ウイスキー全体が回復する道筋までつけたわけではなかった。

自己否定で見えた新しい方向性

 ウイスキー部長への就任時、会長兼社長の佐治信忠から「もう一度ゼロから考えてみてくれ」という言葉をかけられた水谷は、「自己否定から入ろう」と決めた。ウイスキーの素晴らしさを伝えるマーケティングとは違う方向性の施策を練るためだ。担当者らとディスカッションを重ねた。

 たどり着いたのは、3つの否定的な要素だった。まず、ウイスキー市場に「新たに入ってくる消費者がいない」。「1年以内にウイスキーを飲んだことがあるか」という問いに、10年前は70%が「はい」と答えたが、2008年は4割を切っていた。

 次に「飲む場所がない」。かつてウイスキーは、サラリーマンたちが2軒、3軒とはしご酒をした先で飲んだり、バーのカウンターで1人で落ち着きたいときに頼んだりするものだった。しかし、今の若者はそもそも2軒目に行こうとしない。上司が仕事帰りに部下を誘って飲みに行くという光景も減っている。

 最後に「飲む人とそうでない人の差が激しい」という点がやり玉に挙がった。2006年ごろには「月に2本以上飲むヘビーユーザーが消費の4割を占めている」という調査結果も出ていた。普段飲まない消費者からは、「(愛飲者が)うんちくを語りたがる酒」「上司に説教されながら飲む」「アルコール度数が高すぎる」といったマイナスの印象を持たれていることも分かった。

1杯目に選ばれるお酒を目指す

 社内でウイスキーの“三重苦”と称されたこの状況を打破すべく、水谷はいくつかの新しい方針を示した。「ボトルではない、別の売り方、飲み方を提案する」「一度決めたら絶対にやり抜く」といったものだ。

 前職でRTD(缶入り低アルコール飲料)を担当していた水谷は、消費者がアルコール度数の低い飲み物を好むようになってきているのは熟知していた。今からストレートやロックで飲むスタイルを流行らせるのは難しい。そもそも「ウイスキーはストレートかロックでなければ」という考えが新たな愛好者の獲得を妨げたり、飲む人とそうでない人の差を広げたりする要因だった。

 そこで新たな飲み方として目を付けたのがハイボールだった。しかもジョッキに注ぐ。「なんだ、あれ」と居酒屋で目立たせたかった。水谷は調査などから、若者が必ずしも1杯目をそろってビールで乾杯とはしない傾向にも気づいていた。かといって、カクテルのような甘さは食事に合いにくい。苦くも甘くもない角ハイボールは、「2軒目の酒」から「取りあえずビール」を含めた1軒目の酒になり得る。「1杯目からビールではない飲み物を飲んでみたい」という、最近の消費者のインサイトをつかんだことが大ヒットに結びついた。

 サントリーは10年以上前から「Dハイ」という呼称で、ジョッキに入ったハイボールをアピールしていた。「でっかいハイボール」の略だ。しかし、ウイスキーの伝統的な飲み方を好むベテラン社員からは賛同を得にくく、徐々に廃れてしまった。

 同社は「やってみなはれ」の進取の精神で知られる。挑戦とスピード感を尊ぶ一方で、「少しうまくいかないとあっさり撤退してしまう」(水谷)。いつの間にか引っ込めてしまったDハイだったが、水谷は優れたアイデアの1つに思えた。これを「角ハイボール」としてリニューアルして、徹底的に認知してもらう策を取った。

 ただし、角ハイボールという飲み方の提案を突破口にするとしても、解決すべき問題がまだあった。三重苦の1つである「飲む場所がない」だ。消費者との接点を増やさなければならない。

 水谷はある時、「ウイスキー好きはジャズファンみたいだ」という指摘を受けた。「なるほど、確かにそうかもしれない」と思った。熱心な愛好者と無関心な人だけが存在して、中間はない。寂しい現状について的を射た指摘だが、マーケティング施策についての示唆が含まれている。「マス・マーケティングをする意味はない」(水谷)。

 角ハイボールを体験する場がない段階でテレビCMを打つ効果は薄い。飲酒運転への懸念から、スーパーや酒販店などで試飲会を開くことも難しくなってきた。接点となる取り扱う飲食店を増やしつつ、店舗をメディアとして認知度を上げていく作戦を取った。

 この作戦に進んで協力したのは、全国の若手社員たちだった。強豪との厳しいシェア争いが繰り広げられるビールとは異なり、ダントツの首位であるウイスキーの市場で新しい提案ができるのだ。若手には楽しいに違いない。