「情報通信領域に日々起こる絶えまなき生々流転の正体をつかむには、時宜に応じておこなう過去の経験への問いかけ、つまり歴史的なアプローチに依る以外に方法はない」。著者は本書の狙いをこう述べる。言い換えると、日進月歩のIT(情報技術)にかかわる仕事に追われている人たちが、「これから先、一体どうなるのか」とふと思ったときに、ひも解く本と言えよう。

 題名通り、160年ほど前に発明されたモールス信号による電信(テレグラフ)ビジネスと、その担い手であった電信士の栄枯盛衰が描かれる。コンピュータは登場しないものの、エジソンや鉄鋼王カーネギーは電信士から身を起こした、南北戦争でリンカーンは電信本部に陣取っていた、1876年に電信を使って“出席”できる結婚式が開かれた、といった逸話を読んでいくと、電信をインターネット、電信士をSEやプログラマと置き換え、あれこれ考えることができる。

 終章で著者は「技能職の系譜」「スキル獲得」「キャリア形成」「女性の活躍」「ワークライフバランス」「ネットコミュニティ」といった事項ごとに、電信士が情報通信技術者の祖である所以を説く。ただし、そこから何を学ぶかについては読者に委ねている。

 そこで以下に、評者が強く印象付けられた二点を書く。一つは米国の底力である。腕一本で生きていく電信士のプロ意識と、それらを巧みにまとめて巨大ビジネスを作り出す統率力は今日においても健在と言える。一方、著者によれば「ヨーロッパ諸国や明治日本では、電信事業が政府管轄下に置かれ、電信士も国家お抱えの下級技官とされた結果、若者たちが電信士職を立身出世の踏み台とする意識は育たなかった」。

 もう一点は、広大な米国で情報通信の興隆は必然だったということである。リンカーンは戦時に「西部開拓をいっそう加速させねばならぬ。その基盤として、(中略)開拓地同士を結ぶ通信網の整備は不可欠」と考え、大陸横断電線路の開設に補助金を出した。個人は「原野を切り拓き、(中略)身を護るための腕力あるいは騎馬や射撃の腕前に代わる人生の支えを、新生のテクノロジーに求めようとした」。これに対し、日本の統治者は米国に追い付こうと電信技術を輸入し、個人はそれに巻き込まれた。開拓精神が乏しい、受け身の技術輸入は今日まで続いている。

モールス電信士のアメリカ史

モールス電信士のアメリカ史
松田 裕之著
日本経済評論社発行
2940円(税込)