ドはドでしかありません。レはレ、ミはミでしかありません。単体で聞けばそれらはただの音に過ぎません。それでは単体の音と、ビバルディの春は一体何が違うのでしょうか。あなたが今読んでいるこの文字だって、点や線の集まりに過ぎません。では、ただの点や線との文字は一体何が違うのでしょうか。

認知するとは何か

 これは全体を俯瞰した時にはじめて知覚されるもので、心理学用語では形態を意味するドイツ語で「ゲシュタルト」と呼ばれています。音の配列に対してメロディーを認識できること、点や線の構成から文字を認識できること、これはゲシュタルトを認識していると言えます。

 私たちが音楽を楽しめるのも、美味しそうなラーメンに舌鼓を打てるのも、ゲームでドンパチ遊べるのも、映画でハラハラできるのも、すべて私たちに知覚する能力が備わっているからです。逆に言うと、正しいメロディーであっても、テンポがめちゃくちゃでゲシュタルトを認識できなければ、そこからビバルディは聞こえてきません。

 実はこれはPowerPointが抱える問題と同じと言えます。PowerPointを使って説明をするプレゼンターは、頭の中には製品やサービスによって得られる価値がはっきりと知覚されています。すなわちゲシュタルトとして綺麗なメロディーが鳴っているのです。

 しかし、プレゼンテーションを作るにあたって、その一連の情報というメロディーは枠の制限によって、30ページにも及ぶスライドに細切れにされるのです。それがPowerPointによるプレゼンテーションです。それを1ページ目から念仏のように聞かされながら、頭の中で美しいメロディーに変換できる、なんて人が果たして存在するのでしょうか。