仙台市に本社を置くアイリスオーヤマは地震発生13日後の3月24日、主力の角田工場(宮城県角田市)で生産、物流を本格的に再開した。被災地の拠点を迅速に復旧させた最大の要因は、地震直後に「事業継続こそが地元への最大の貢献だ」と意義を訴え、社員が仕事を継続できる環境を整えた代表取締役社長の大山健太郎のリーダーシップだ。

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写真1●代表取締役社長の大山健太郎
写真1●代表取締役社長の大山健太郎
写真撮影:尾苗 清

 「動揺するな。うちは地元を代表する企業だ。我々が事業を続けることが被災地への最大の貢献になる」。アイリスオーヤマ代表取締役社長の大山健太郎(写真1)は、東日本大震災の発生から3日後の3月14日、宮城県角田市にある主力拠点「角田I.T.P.」で開いた朝礼で事業の継続を強く訴えた。

 本部機能が集まる角田I.T.P.では本震で震度6弱の揺れが数分続き、電気、ガス、水道の全てのライフラインが不通となった。従業員は幸い全員無事だったが、生産・物流の主力拠点、角田工場の内部は棚から落ちた商品が散乱し、10トン以上の重さがある射出成型機の位置がずれるなど、地震の激しさを物語っていた。

 大山は毎週月曜日、角田I.T.P.でここに勤務する全社員を集めた朝礼を開いている。だが、14日に集まったのは482人の正社員の6割程度。大山自身、千葉・幕張の展示会場で地震に遭い、前日の朝、2日がかりでようやく角田にたどり着いたところだった。「非常時にトップは現場にいなくてはならない。離れた場所から指示を出しても現場は動かない。だから一刻も早く帰ろうとした」

「カイロやマスクを被災地に届けよう」

 角田工場は混乱を極めていたものの、生産・物流設備に致命的な損傷はなく、大山の目には比較的短期間で復旧できるように映った。「非情なようだが、起こってしまったことはもうどうしようもない。これからのことに社員の意識を向けなくては」。東北地方が未曾有の被害を受けている実態が次第に明らかになるなかでも、大山は冷静に今後のことを考えていた。

 「こんな状況で仕事をするよりもボランティアで地域のために働きたいと思う人もいるかもしれない。だが、我々は1日でも早く、しっかりと会社を復旧させよう。うちはカイロやマスクなど、被災地ですぐに必要とされている商品をたくさん扱っている。そうした商品を被災地に届けることこそ、地元への最大の貢献だ」

 電気もガスも水も通っていない建物の中は寒く、薄暗い。余震もまだ続く。集まった社員の表情には不安や疲労がうかがえた。中には津波で家を失い、避難所から出社してきた社員もいる。大山はそんな社員たちにあえて、自分が働くことの意義を再確認するように促した。

 朝礼の後、大山はすぐに仙台の中心街にある本社へと向かった。既に電気が復旧していた本社ビル8階の社長室に災害対策本部を立ち上げるためだ。ここで事業再開への最短のプロセスを練り、現場を動かしていく。被害報道一色のマスメディアでは得られない、事業継続のための情報を収集しようと、社長室には携帯電話とパソコンを持った20人弱の幹部社員が集まった。

 地震に備えて事業継続計画(BCP)は策定していたものの、大規模な津波は想定外。特に大山が懸念したのは、地震直後に仙台で起こった製油所の火災だった。社員のほぼ全員が車通勤のため、ガソリンがなければ出社すらできない。旧知の石油流通業者に電話した大山は、東北地方には製油所が被災した1カ所しかなく、貯油槽も多くは津波で流されてしまったことを知る。