村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2011年5月9日(上渚滑支援)

 紋別市上渚滑(かみしょこつ)といっても、北海道の人間でも地名を知っている人は少ないと思います。もともと流氷で有名な紋別市は、昭和29年に紋別町、渚滑村、上渚滑村の1町2村が合併して出来た歴史を持ちます。

 以前には駅もありましたが、昭和60年に渚滑線の廃止に伴い廃駅となっています。紋別市街から約20km内陸側に入った人口1000人くらいの高齢化が進んだ集落です。 札幌や夕張から高速で約4~5時間くらいかかります。以前にメルマガで書かせていただいた、東洋一の金山であった鴻之舞もこの近くにあります。

 もともと紋別市には夜間急病センターの開業等にも関わってきた縁で、医師不在となった上渚滑診療所の支援に乗り出すことになりました。現在被災地の支援などもあり、決して余裕がある状態ではないのですが、町長さんをはじめ紋別市の関係者の皆さんが熱心に要請してきた関係もあり、次の医師が見つかるように支援していくことになりました。

 上渚滑診療所は、医師1人、看護師1人、事務員1人で運営されていて、平成21年3月に新築されたばかりです。診療所の建物の中に直接医師住宅が併設されている形式で、住宅も新しくてとても快適な環境です。しかし、医師1人で運営していると、休みも取りにくく、プライバシーもないといった僻地独特の大変さもあります。

 そこで私達が関わることで、勤務する医師や看護師さん、事務員の方が休みを取ったり、学会に出かけたり、体調の悪い時には支援に出かけたり、時々交代してリフレッシュしたりといった形で支援したら、もう少し敷居も低くなるように思います。

 住民の皆さんにとっては医師を含めた職員が同じ人の方がいいのですが、限られた人たちが頑張って疲弊すると長続きしません。その辺は地域で働く医師に共通の問題で、医療従事者も普通の人間ですので、住民の皆さんが少しだけ我慢して医療が継続することで妥協しないと医療の存在自体が難しくなります。

 上渚滑の人達はとても素朴で、小さなコミュニティーでまとまりが良くて、自分の地域に対する愛着の強い人達だと思います。私の前に永森医師が出かけて、5月の連休には私が出かけたのですが、「夕張から先生が来る」といった噂が広がっていて、顔を見に来た患者さんもいたほどです。

 当日の午前中に健康講話をやってほしいとリクエストがあり、その日の午後に集会場に出かけてみると、50人以上の人達が集まっていました。人口の5%です。少なくとも夕張ではこのような話題で集まる人などほとんどいない状況を考えると、羨ましく感じてしまいます。

 医療崩壊した地域の住民の皆さんですので関心が高かったこともありますが、健康講話で私は予防医療の話や今後の支援についての話をしました。一番強調したのは、医療がなくてもよいくらい健康に関心を持ち、検診の受診率を日本一にすれば、来てくれる医師が増えるという他の地域の実例です。

 本当に自分達の地域を守りたいのでしたら「誰かが住民を守ってくれる」という従来の北海道的な発想ではなく、「住民自身が健康や医療を守っていく」という考えで取り組んでほしいと思います。

 確かに不便な地域ではありますが、自然環境に恵まれていて、海の幸、山の幸の両方が楽しめる北海道らしい地域です。何よりも熱心な行政の担当者や議員さん、そして意識の高い住民の皆さんが多い地域ですので、支援しがいのある地域だと感じました。

 私達が支援に行くと、紋別から行政の担当者や看護師さん等の関係者が必ず来て下さいます。本当にこの方達がこの町の医療を支えていると実感します。

 社会資源に乏しい地域でも住民の努力で質の高い地域医療が支えられるモデルが出来るといいですね。経済的な事情で以前のようにお金をかけて大きな箱物を作り、お金を積んで人を呼ぶといったことができなくなってきたので、今後大切な考え方になると思います。

 「時期尚早という人は100年たっても時期尚早と言っている」という言葉がありますが、とっくに手遅れになって破綻している自治体もあるのですが、本当に困らないと破綻しても同じことを言っているということを最近知りました。

 5月の連休だというのに紋別方面は吹雪で真冬のような風景で驚きましたが、夏タイヤでも何とか無事に帰りました。連休もほとんど仕事でしたが、いつもよりは休めました。また明日から北海道のために頑張りたいと思います。

2011年5月16日(5回目の5月の連休)

 今年で夕張での5回目の5月の連休を迎えました。例年5月の連休は冬道具をしまい込んで、野菜の苗を購入してきて、いつもの場所から夕張医療センターの写真を撮り、下草が少ないので夕張の遺跡の写真を撮り歩いていました。

 しかし、最長10日間あったゴールデンウィークも中盤は診療支援に行き、全体的に気温が低くて天候が悪くて、いつも通りには過ごせませんでした。5月の連休中に吹雪にあったのも久しぶりでした。

 今回のメルマガでは今後の予定について少し書いてみたいと思います。今までの夕張医療センターの歩みは以下のように表現できます。

 1年目 混乱
 2年目 勢い
 3年目 停滞
 4年目 躍進
 5年目 展開
といったところです。

 夕張医療センターは19床の有床診療所と老人保健施設が委託を受けている部分で、それを運営している会社が医療法人財団夕張希望の杜です。その中で地域貢献、地域支援、研究、人材派遣、講演活動等医療法人にはなかなかできない事業を行っているのが、NPO法人支える医療研究所です。

 夕張希望の杜では理事会が週1回開かれていて、内部の理事は歯科の八田先生、訪問看護の小野さん、老人保健施設の山崎君、事務の子馬さんの4人で、若手で頑張っている人であれば、経験年数や年齢、役職に関係なく理事を1年間やってもらうのがうちの特徴です。

 「頑張っている」というのは、学会で発表したり、資格を取ったり、新しい事業に貢献したりといったことが一番の評価対象です。その方達が理事会で運営に直接関わって、末端の意見を吸い上げて、逆に理事会で決まったことを包み隠さず伝える役割を担ってもらいます。予定通り3人は今年度で降りてもらい、来年度は新たに4人の職員に理事になってもらい、1年間頑張ってもらう予定です。

 夕張市は社会党、組合文化の地域ですので、やたらに既得権益を主張するのですが、それが破綻の原因ですから、排除しないとなかなか新しいことができません。「足元を固めて」「徐々にやっていく」「時期尚早」とかいうのが公務員特有のだめなフレーズだと学習したので、理事会のルールは「前のやり方は排除して、できない理由を言わないで、どうしたらできるかを考える」ことだけです。

 医師は診療所ですから常勤は私1人ですが、支える医療研究所に所属して希望の杜に派遣される夕張在住の非常勤の医師が永森先生に加えて、5月から森田先生が加わります。それ以外にも外部に4~5人の非常勤の医師が所属していて、実は医療機関が5カ所ある夕張より本当に医師不足に悩む地域の支援や被災地の支援に向かいます。

 特に東日本大震災の岩手支援は医師だけではなく、歯科医、歯科衛生士、看護師、ケアワーカー、事務、リハビリスタッフなど多職種にお願いする予定です。財政再建団体になってから散々全国の皆さんに支援してもらい助けてもらった夕張が、今度は支援する気持ちにならないと本当の再生などと言えないと思います。いつまでも「ボランティアされるのは好きだけど、するのは嫌いな夕張人」ではだめだということです。

 最初は現状維持のための言いわけが随分出てきましたが、つくづくここが破綻した理由がよくわかりました。

 5年目の「展開」とは、今後は夕張で培った「支える医療」の実績やノウハウを他の地域に向けていく1年間になるということです。

 マスコミや夕張の住民は「救急医療」をやたらに強調しますが、一人診療所ではできないし、救急指定病院を返上して予算を取らないで、うちの法人と救急医療の契約もしていない夕張市の問題です。また、救急車で20~30分走ったら隣町の救急指定病院がある夕張ですから、後は行政の問題だと前市長も認めていましたので、いい加減に責任転嫁しないで考えてもらう予定です。

 実は支える医療研究所では隣町の栗山日赤や由仁町の国保病院に2年前から当直医を派遣して、夕張の救急患者さんを受けています。本来救急は予算や施設が整った場所で受けるのが普通ですので、それを継続するつもりです。

 支援対象は被災地、周辺地域、北海道の医師不足の地域2~3カ所、それ以外に学会活動や論文といった記録を残す活動、研修の受け入れ、講演活動や執筆といった情報発信、医療も含めた町創り支援も他の地域とモデル作りを進めて、法人の本部も医療の広域化を見据えて夕張以外に置くつもりです。

 職員も含めて「夕張さえよければいい」という発想を払拭して、他の地域と連携していくように考えたいと思います。ワークシェアリングも随分進みました。多職種連携やマルチスキル化も今後進めていき、職種に関係なく一人で何役もこなす職員を増やす予定です。

 住民のニーズというのは住民が望めば何でもできるわけではなく、すでに自分達で代表を選んで莫大な借金を抱えて破綻させて、その借金を踏み倒そうとしているわけですから、また同じやり方で税金を無駄遣いして、誰も責任を取らないで次の世代に丸投げにすることには、納税者として協力する気はありません。

 もちろんこれ以外にも予定していることはたくさんあるのですが、この5年間で活動してきたことがやっと具体化して、仲間が多くなってきた感じです。

 原則は「今までのやり方=破綻したやり方」ですので、それを再生というのでしたらまた破綻するだけです。人のせいにしないで自分達で考えて、自分達の力で同じ間違いをしないようにしていくのが本当の再生だと思います。それができないのでしたら、この町は消えていくだけですし、仕方ないことだと思います。

 せっかく破綻したのですから、日本一高齢化したモデルになるためには、大都市が衰退していく下り坂をいかに上手に、次の世代に迷惑をかけないで他の地域に貢献するかが鍵になるように思えます。

 いずれにしても、この1年間はやっと頭で考えてきた、やりたいことが具体化できるように思えます。活動内容はその都度、メルマガやツイッター、ブログ等でご報告させていただきます。