クイズで、「宇宙船」と「生命体」の共通点は聞かれ、すぐに思い当たる人は、時代の最先端を走ってきた人かもしれない。答えは、どちらも地球の比喩である。

 思想というものは、意識されずとも継承されていくものである。一般的なイメージでは、ある思想家に弟子入りした者が、次の思想を形成するように見えるのだが、社会思想の考え方では、思想を生み出すものが社会であるから、社会という土壌の変化に応じて思想も発達すると見なされている。つまり直接弟子入りして教えを請わなくとも、社会意識の変化が、前時代の思想を継承しつつ、新しい時代に対応した新規思想を育ていくことになるというわけである。

 環境思想においても、環境問題悪化に対する鋭敏な知覚が、地球を「宇宙船」とみなすケネス・ボールディングの思想(1960年代)から、地球を「生命体」とみなすジェームズ・ラヴロックの思想(1980年代)へと発達させた。「宇宙船地球号」の比喩は、環境思想に関心がない人でも聞いたことがあるだろう。私も最初に目にしたのは、国際関係論の書籍であった。それほど一般化した言葉である。しかし、環境思想の急進化のたまものか、宇宙船では手ぬるい、生命体だという考え方が広く知れわたるようになる。ラヴロックは、地球をガイアと呼んでいるが、ガイアとは、ギリシャ神話に登場する「大地の女神」のことである。

 地球が一つの生命体であるという「ガイア論(ガイア仮説)」は大きな衝撃を与えたが、意識が古いままの人には理解されにくい概念であった。私自身が、大学院での発表で、ある教員に何度も説明したが「地球は宇宙空間に浮かぶ無機物の固まり」と言い張って、ついに理解してもらえなかったという経験がある。私は恩師・石弘之先生からの1回の説明で理解できたのだから、教え方が悪かったと反省し、「7回教えましたがダメでした」と石先生に報告したところ、「いや、こちらも3回教えたけれど、あの人は全く理解できなかった」と笑われた。ちなみに学生に教えると、ほとんどは即座に理解できるようであるから、理解できるかどうかは、新しい時代に感覚が適応しているのかどうかの試験のようなものかもしれない。感性の問題は大きいように思える。

 ガイア論は、ダーウィンの「進化論」や、今西錦司の「棲み分け論」と同じく、科学としてはまだ仮説の域を出ず、むしろ思想として捉えた方がいいように思える。環境思想上の系列では、「宇宙船」からの進化というよりも、アルド・レオポルドの土地倫理が拡大した思想と見ても差し支えないだろう。レオポルドが取り上げた限られた地域生態系から地球規模に、相互依存関係から生命系全体へと概念は拡大されたのである。しかし、ガイア論の提唱者ラヴロックにはレオポルドの直接的影響も見られない。全く異なった別な方面からの研究からガイア論を提唱したのであるが、結果的にはレオポルド理論の延長となった。ラヴロック自身も、自分が生きている社会からは影響を受けていることを述べている。

 ガイア論の前提には、生命の定義があった。つまり「生きている」とは、どのような状態なのかという問いかけがある。これは生物学的な問いかけであり、従来の科学の延長上に位置する問いかけでもある。環境思想史研究家ディヴィッド・ペパアーなどはディープエコロジーをガイアニズムと同一視しているし、多くのディープエコロジストがガイア論を引用している。しかし、ラヴロックは科学者であり、科学を自然の敵のように見なす一部のディープエコロジストと同一視されることには抵抗があるかもしれない。多くの思想家が批判する還元論についても否定的ではない。ラヴロックによれば「すべての科学者はある程度まで還元論者である。ある段階で還元作業を行わずして科学にたずさわることなどできはしない」(J・E・ラヴロック『ガイアの時代』工作舎、1989年)ということで、それは全体論的システムの分析においても例外ではないとしている。しかも人間を「複雑な生命システムの中でもっとも優勢な動物種」(J・E・ラヴロック『地球生命圏ーガイアの科学』工作舎、1989年)と見なしているから、誤解する人からは人間中心主義のそしりを受けるかもしれない。