「バカ正直が取りえで、曲がったことはしたくない」。そうした信念を持つことは悪いことではない。むしろ本来、世の中全体がそうであればいいのだが、残念なことにそれではうまくいかないことの方が多い。システム構築プロジェクトもまた、多くの場合きれい事だけでは済まない世界である。

自分にうそをつきたくなかったT君

 T君は30代の中堅社員。顧客対応を笑顔で行うだけでなく、プロジェクトメンバーへの人当たりも良かった。そんなT君があるシステム開発プロジェクトのPM(プロジェクトマネジャー)を任されたときの話である。

 そのプロジェクトの期間は半年で、メンバーも協力企業の社員4人という小規模案件であった。T君の上司は、T君の人物面は問題ないと考えていたが、PMとしての実績は少なかったことから、協力企業メンバーの中に大ベテランでT君の会社からも信頼の厚いIさんを参画させることにしたのだった。

 このプロジェクトは年度末案件ということもあり、T君とIさんは顧客側の年度末特有の忙しさを鑑みた上で、次のような日程を計画した。

出荷レビュー          3月11日
納品                  3月25日
検収予定              3月30日
稼働開始              4月8日

 システム開発は顧客側の要件が頻繁に変わるというアクシデントに見舞われながらも、協力企業の努力により、少しの煙は出たものの火の手が上がることはなかった。それもこれも、全てIさんの采配によるものであったが、そういうそぶりはみじんも見せることなく、全てT君の実績として報告されていた。

 その後、何とか出荷レビュー3日前までに、予定していたテストを全て完了させることができた。しかしユーザーマニュアルなど一部の納品ドキュメントは80%の完成度であった。そこでT君はIさんに相談することにした。

 それはこのままでは出荷レビューが通らないと考え出荷延期を相談するためだった。T君の会社では出荷レビューを行う際、チェックリストを用いて製品出荷検査を行うことが義務づけられていた。そこには「ドキュメント類が全てそろっていること」という一文があった。

T君:「このままでは出荷レビューに間に合いません。納期を延ばしたいと考えます」
Iさん:「システム自体は完成しています。テストも十分に行いました。不足しているドキュメントはマニュアル類であり、設計ドキュメントや試験成績書ではありません。納品まではまだ2週間以上時間があるのです。それまでには確実に間に合います。出荷レビューを受けるべきです」
T君:「しかし、出荷レビューを受ける際は全てのドキュメントがそろっていないといけません。そろっていないことを伏せてレビューを受けるのはうそをつくことになります」
Iさん:「マニュアル類が遅れているのは、出荷のための試験成績書作成を優先したためではありませんか。マニュアル類も全く書いていないわけではなく、内部レビューの結果反映に時間がかかっているだけです。1週間もあれば完成しますので納品に十分間に合います。出荷レビューを受けるべきです」
T君:「私はうそをつきたくありません。私は常にピュアでいたいのです」

 この一言にIさんは切れてしまった。

Iさん:「これまで三連休も返上し、土日も働き、毎日遅くまでやってきたのは、何とか納品に間に合わせようとしてきたからだ。それを今になって、自分が汚れたくないからという理由であっさりとこれまでの苦労を無にするなんて考えられない。そこまでして出荷を延期したいなら勝手にすればいい。その代わり、プロジェクトメンバー全員に謝罪しろ。今後二度とあんたとは仕事をしない」

 結局、マニュアル類の完成度は80%程度であったが、予定通り出荷レビューを受けて検査に合格する。そして、納品1週間前までにマニュアル類を差し替え、プロジェクトを完了させることができた。しかし、T君とIさんの溝は埋まることは無かった。