大東亜戦争の敗戦を日本の“第一の敗戦”とするなら、失われた20年を経て、3.11とともに勃発した東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故(Severe Accident)による惨事は、日本の“第二の敗戦”をほぼ決定づけた。その失敗の本質を問わなければ、復興は不幸の繰り返しになるだろう。

東京農工大学大学院産業技術専攻教授
松下博宣

 発電する手段としての原子力発電所。「3.11」は永遠に記憶されることとなった。「安全、安心」と長年喧伝され続けてきた原発の虚構の神話が文字通り吹っ飛び、世界中で上を下への大騒ぎが巻き起こっている。

 東電福島原発には第一原発に6基、第二原発に4基の合計10基が配置されている。これらのうち、過酷事故を起こしたのはすべて、1号機から4号機まで、マークIと呼ばれる老朽機であり、これらは米General Electricの設計図に沿って建造されている。その他の健全な6基(多くはマークII )は東芝・日立などのリスク設計思想が織り込まれていたので、3.11大地震でもかろうじて耐えることができた。

 原発技術は、原子力を活用して電力を発生させる体系の技術そのものと、それらの技術を活用するマネジメントに分けて考える必要がある。初動の遅れ、事象を制御可能圏から不可能圏へ逸脱させてしまったのは、経営陣の意思決定のミス、つまりヒューマン・エラーである。

 「想定外」という言葉がよく使われるが、地震、津波による福島第一原発の被害は、2010年12月に公表された原子力安全機構の「平成21年度 地震に係る確率論的安全評価手法の改良=BWRの事故シーケンスの試解析=」という文書の「津波時のイベントツリー」(同文書の3-11ページにこのことが記載されている)の中で起こりうる事故・被害イベントが正確に予測されている。流説とは裏腹で、まったく想定内だったのである。

 当初は、過酷事故のトリガーになった非常用冷却装置は「想定外」の巨大津波のために停止したと説明されていた。しかし、その後の調査によると、地震には耐えると説明されてきた非常用冷却装置(少なくとも1号機のそれ)は津波の到達前に停止していたことが判明している。今回の過酷事故は技術経営(MOT:Management of Technology)の陥穽(かんせい)から惹起した面がある。同志社大学の山口栄一教授は、日経ビジネスオンラインの記事の中で今回の原発事故の本質として「現代技術は、常に科学パラダイムに基づいていて、その科学パラダイムが提示する『物理限界』を超えることはできないという命題への本質的な理解の欠如だった」と指摘している。そして「独占企業が、『インテリジェンス』を持たない経営陣を選び取ってしまうこと。それは、もはや『日本の病』に通ずる」と結んでいる。卓見である。

 しかしながら、東京電力のみの技術経営の失敗というわけではないと筆者は見立てている。すなわち、この惨事は日本産業を支えてきた電力インフラ領域に起こった日本的経営の失敗でもあり、日本の経営の失敗でもある。

 問題は、インテリジェンスのあり方と日本の病の出所だ。本連載では、「第2講:プロフェッショナルがインテリジェンスを学ぶ理由」の「戦争の歴史を直視し、インテリジェンスの教訓を学ぶ」の節で、大東亜戦争の戦史をひも解いて諜報謀略上の致命的失敗を振り返ってみた。そして、日本的経営については、「第18講:日本的経営あるいはジェームズ・アベグレン博士との対話」で俎上に載せた。これらの文脈で原発事故をめぐる失敗の本質について考えてみたい。

 大東亜戦争敗戦と原発事故における失敗には多くの共通点がある。筆者は今こそ、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社)の議論を補助線として、今回の事態の失敗の本質を問い直すべきだと考えている。『失敗の本質』とは、人的資源、組織行動、戦略、戦史のみならず、企業経営・組織運営を専門とする読者によって長年読み継がれている名著だ。そこで展開されている論点を下敷きにしつつ、今回の事態を俯瞰してみよう。