東日本大震災と福島第一原発事故は、未曾有の災害をもたらした国難と言えよう。被災者の方々には心よりの哀悼の意を伝えたい。しかしいつまでも頭を垂れているわけにはいかない。この国難に臨み、我々がどのような教訓を得て今後の復旧・復興に活かし新たな国造りを行うかは、日本国民だけでなく世界の注目する所である。今回はそれらをICTの観点からまとめ、今ICTが国に何を貢献できるかを提言したい。

途絶した通信網

教訓1 大災害では世界に誇る通信網も途絶する。
教訓2 携帯電話は災害時に絶大な威力を発揮する。

 マグニチュード9.0の東日本大震災はその壊滅的被害が東北地方の太平洋側全体に及び、かつ巨大津波が10メートルの防波堤(岩手県宮古市田老町)さえも乗り越えて町全体を壊滅させるという、まさに想定外の巨大エネルギーだった。

 日本はこれまで世界的にも通信インフラの優れた国と評価されてきた。しかしこの未曾有の災害を見ると、通信網が想定外の規模で途絶したことは、ある程度しかたのないことだったのかもしれない。行方不明の親族を探す人々は近隣の避難所を歩いて回るしかなかった。両親とはぐれた9歳の男児がつたない文字で両親の名前を書いた紙をぶらさげて避難所を巡る様は、ニュースで見て多くの国民が涙を流したことだろう。

 これより先に起きたニュージーランドの大地震では、倒壊した瓦礫の下から日本の肉親にメールを送った被災者がいた。今回の大震災でも、自宅とともに津波に流され瓦礫の下に80歳の祖母とともに埋もれていた16歳の孫は9日後に救助される前に、一度だけ家族と携帯電話で連絡しており、家族は生存を信じていた。

 きっとそのほかにも、多くの被災者が瓦礫の下から携帯電話で連絡をしていたに違いない。最近の携帯電話の多くには位置情報(GPS)機能も備わっているので、これと連動した緊急救助システムがあればどれだけ多くの人命が救われただろうか。

 また、着の身着のままで避難所に逃れた方々は貴重品の多くを自宅や職場に置いてきて流されてしまったが、普段から身近に所持していた携帯電話は多くの方々が持っていた。もし、携帯電話が使えていたら肉親の安否確認などでどれだけ役立っただろうか、と誰もが思ったことだろう。

 通信が途絶したのは、固定回線が最大250万回線、携帯電話の基地局は最大1万4200カ所で機能停止となり、さらに電話網の発着信規制がかかったからだ。

 地震直後には基幹伝送網が使えなくなり、さらにNTT東日本が保有する交換機や中継装置を備えた「通信ビル」は、約1000カ所が損壊または停電の被害を受け、385カ所が使えなくなった。KDDIの海底ケーブルも6系統が損傷し、米国や中国などとの国際専用線も一部使えなくなった。まさに被災地の通信網全体が途絶してしまった。

 通信各社は必死になって復旧に駆け回り、その復旧状況や通信規制の情報は各社の自社サイトで公表されている。震災後2カ月以上たった現在はかなり回復している。

 通信各社の復旧にかける努力には賞賛を惜しまない。しかし、これだけ技術の発達した日本で、このような時に即応できる手段がないことに不満を覚える国民も多かったのではないだろうか。例えば、バッテリー付きの基地局をヘリで投下したり、衛星回線を利用したりと技術的には様々な解決策があるはずだ。携帯電話の通信網が速やかに復旧していれば、さらにGPS機能と連動した緊急救助システムがあれば、被災者の救助や生き残った方々の安否確認に役立ったはずだ。