村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2011年3月7日(ルーチェ・ソラーレ)

 ルーチェ・ソラーレというのは、イタリア語で「太陽の日差し」の意味で、夕張駅の中にあるカフェ・ダイニングの名前です。駅の建物の中にあり、マウントレースイスキー場のホテルの正面にあります。詳しくはこちらをご覧下さい。

 この店は基本的にはパスタやピザのお店で、昼時には500円で食べ放題という破格のランチバイキングをやっています。もちろんお酒も飲めます。私の食生活を支えてくれている店でもあるので、今回勝手にご紹介します。

 このお店をやっているのは夕張出身の方達で、夕張医療センターの横田副所長の同級生でもあります。夕張が財政再建団体になってから、夕張出身の方が起業して始めたお店ですので、ある意味夕張の本当の再生の象徴でもあります。

 それまで単身赴任で自炊している私は、忙しくなるとコンビニ弁当ばかりになり、セイコーマート(北海道のコンビニチェーン店)のホットシェフメニューを制覇する状態でした。その後、このお店で晩ご飯を食べるようになってから随分食生活が向上しました。

 私が普段食べているのはほとんどが裏メニューで、かつ丼、グラタン、スペイン風の魚料理にサロマの牡蠣などなど、とても安く出てきます。

 ちょうど自宅と職場の中間にあり、当直の電話を持ってよくご飯を食べています。お店の売り上げに貢献(?)するために、私物の90式戦車のラジコンも展示してもらっていますし、カウンターのパソコンには私が集めた古い夕張の写真や私が撮り歩いている夕張の風景が映されたりしています。

 破綻後には夕張には食事をする場所がほとんどありませんでした。せっかく夕張の支援のために夕張へ来て下さった方達も、立ち寄る場所がないことを随分耳にしていました。

 しかし今ではルーチェのほかにも、駅のすぐ横にバリー屋台村というのもできていて、ラーメン屋さんやカレーそば屋さん、ジンギスカン屋さんに寿司屋さん、豚丼屋さんにカレー屋さんなど6店舗ほどのお店が入っています。

 夕張医療センターにはたくさんのお客さんが来たり、研修や見学の方が来ていますので、時間があると案内したりしています。駅の中の観光案内ではメロン熊も売っています。

 夕張の宝は、自然環境、歴史、元気な高齢者だと私は思っています。

 環境が良くて、水がきれいで温泉もあって、石炭の歴史を見ることができて、札幌や千歳空港から1時間で来れる場所です。春は桜、秋は紅葉、冬はスキーに温泉、夏は釣りを楽しめて標高300mの避暑地です。街中で桜や紅葉、見事な樹氷を見られるという町は少ないと思います。

 そんないい場所なのに一番そのことに気が付いていないのは、案外住民なのだと思います。たぶん外から来た私の方が、本を読んで勉強したり、地元の人に聞いて勉強していますので、かなり上手にご案内できると思います。

 私は以前の経済的に豊かな夕張より、環境に優しい今の方がいいとさえ思っています。暗く悲惨なイメージはほとんどがマスコミの作り話ですし、そのことは現場に来てみたら分かることです。スキーシーズンももう少し続きそうなので、温泉とスキーと食事を楽しめます。ぜひ一度足を運んで見て下さい。

2011年3月14日(大変な出来事)

 今週は色々大変なことがありました。まず、10日木曜日に海堂尊さんが1年ぶりに夕張へ来て下さいました。彼の作品であり、夕張をモチーフにした「極北クレイマー」が文庫本になり、私がその書評を書いている関係で、取材とお礼に来た様子です。

 久し振りに話をしましたが、医師でもある海堂さんも日本の医療の将来に随分熱い思いを持っていて、久し振りに楽しい時間を過ごすことができました。遠いところお疲れ様でした。

 今週は数日前からテレビ朝日のスーパーモーニングのスタッフの方が取材に来ていました。昨年鳥越さんが取材に来て下さり、その1年後の取材ということでした。11日の金曜日にはカメラの前でインタビューということで、午後3時から夕張医療センターで取材を受けていました。

 前回の取材に来た1年前に比べたら、随分取り組みが具体化したことや、日本の将来の高齢化に向けてのモデル作りの話など、随分長い時間話をしていました。

 ところが、インタビューを受けていた部屋の外が何やら騒がしくなってきていて、「大変なことになっている!」と知らせが入りました。テレビを見ると地震と津波の報道が入っていて、気が付くと携帯はつながりません。インターネットなどを使って情報を集めると、これはただならない事態です。地震大国の日本ではありますが、これほどの大きな地震が起こると本当に大変な状態になっています。

 今回の取材での番組は、予定では23日が放送予定でしたが、これだけ大変な事態なのでおそらく変更になると予想されますので、その時にはまたお知らせします。

 夕張は山の中ですし、震源から遠い地域なので、幸い大きな揺れはありませんでしたが、老朽化した建物のあちこちに新しいひび割れが走っています。また急患の連絡がほとんど携帯電話になっていたため、夕方から救急車からの連絡が医師や看護師に届かない状態になっていました。

 先ほど患者さんが救急車を呼びましたが、医師や看護師への連絡ができずに対応に時間がかかりましたが、私の自宅の電話に直接連絡が入り何とか無事に対応できました。

 便利になった半面、便利さに依存していることを実感しました。結局当直の森田先生が医療センターに泊まって待機することにしました。

 スタッフも実家が東京や茨城の方もいて、連絡が取れずに困っていました。北海道の沿岸にも津波警報が出ていて心配です。私は十勝沖地震の時に小学校で大きな地震を経験しました。今回はその時よりもはるかに大きな規模で起こり、津波も大規模であり、被害も相当なものだと思います。神戸の震災の時に医師派遣団の一員として出かけていた時のことを思い出していました。

 不幸にも亡くなった皆様のご冥福を祈ります。また被災した皆様が無事に過ごされることを祈っております。

 ある意味日本も大きな分岐点を迎えるほどの大災害になりそうです。自分にできることを考え、必要なら支援に出かけることも考えています。このメルマガが出る頃にはどうなっているか分かりませんが、これ以上被害が広がらないことを祈りながら、情報を集めていきたいと思います。