筆者のITアーキテクト像を示しておきたい。一言でいえば、「高い技術知見に加え、ビジネスとのバランスが取れる技術者」である。今回はそのビジネスとのバランスを考える上で、試金石となる問いを示したい。それは「ビジネス上必要なら技術者として信じていない答えをしてよいのか」である。

 筆者の経験を話そう。もう10年以上前になるが、当時所属していた会社の上級マネジャーがセールスを行うのに同行したときのことだ。研究開発部門に所属していた筆者は、こうした同行は初めてのことだった。訪問先で筆者はWebベースの新技術を使ったソリューションを紹介し、なかなかの好感触を得た。

 説明の最後で質問を受け、先方の利用部門の部長から「今後、取り扱う製品数が大幅に増える予定だが、問題はないのか」と問われた。データ量がどれだけ増えても性能に影響を及ぼさないか、との質問だと解釈した筆者は、「製品数が想定以上に増えると性能は低下しますが、通常の規模であれば問題ありません」と答えた。

 この返答がその場で問題になることはなかったが、後で上級マネジャーから厳しく注意された。「あの場面では『大丈夫』と言い切れ」というのである。筆者は、「『大丈夫』という返答に責任を持てないし、自分の信じていない答えになる」と話した。すると上級マネジャーは、「正確性にこだわって言い切ることのできない技術者感覚ではビジネスにならない。こちらの主張が正しいかどうかは相手が判断すればいいことだから、発言への責任など気にせずに言い切れ」というのだ。

 ITの分野では、回答を断言するのが難しい質問が多い。「重大なバグは残っていないのか」「どんな検索でも必ずこの時間内で応答するのか」などもそうだ。ユーザーにこう問われたら読者は何と答えるだろうか。

 振り返ってみて、先の上級マネジャーの意見に半分は同意できるが、半分は同意できない。今考えれば、あの場面では上級マネジャーの指摘通り「大丈夫です」と言い切るのが正しいと思う。つまり、冒頭の試金石の問いに対しては、「信じていない答えをしてよい」となる。

 「どんなにデータが増えても問題ないのか」との質問を受けたとき、文字通りに解釈すると「大丈夫」と言い切ることはできない。システムが想定範囲外の状態になったときに、当初の設計通りに動作保証することなどできるはずがないからだ。しかし、そんな説明をしても意味をなさないときがある。ビジネスの場では、ただ安心したいためにこのような質問をするケースがある。「君たちを信じていいんだね」という意味である。そういうときは、必ずしも質問を文字通りに受け取る必要がない。返答は「大丈夫です」がよく、返答の前提条件の明確化は後からで十分である。

 一方、「相手が判断することだから、発言に責任はない」という考えは今でも間違っていると思う。技術にそれほど詳しくない営業担当者の「大丈夫」と、技術者のそれは重みが違う。技術者の「大丈夫」は「実現してみせます」という意味であり、覚悟を含んでいる。覚悟を持って「大丈夫」と答えたならば、実現できるのかどうかを真剣に検討するだろう。そして検討の結果、必要な前提が出てくれば、それを整える動きをするはずだ。

 今から思えば、当時の筆者の返答には、そういう意味で逃げがある。できなかったときの言い訳が込めれている。「大丈夫」と言い切れなかったことが当時の筆者の限界だった。技術者としてキャリアを積んでいけば、遅かれ早かれこうした場面に直面する。そのとき、発言にどれほどの重みを持たせられるのか。それがビジネスの領域にまで踏み込めるITアーキテクトかどうかの試金石になる。

林 浩一(はやし こういち)
ピースミール・テクノロジー株式会社 代表取締役社長。ウルシステムズ ディレクターを兼務。富士ゼロックス、外資系データベースベンダーを経て現職。オブジェクト指向、XMLデータベース、SOA(Service Oriented Architecture)などに知見を持つITアーキテクトとして、企業への革新的IT導入に取り組む。現在、企業や公共機関のシステム発注側支援コンサルティングに注力