1960 年生まれ、独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から、現在に至るまでの生活を振り返って、順次公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も、フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も、“華麗”とはほど遠い、フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。

 仕事を探す関係上、技術経歴書を作成する機会がかなり多い。紹介会社ごとに、その会社が用意したExcelのフォーム(定型様式)に記入していくことになる。ところが私はこの作業がとても苦手である。その理由の一つは、縦横に細かく書き込まれた罫線にある。書く内容が罫線の範囲に収まっているうちはよいのだが、あふれる場合は行を追加するなりフィールドを広げるなりしなくてはならない。ところが、こういった作業を想定していないフォームが意外と多いのだ。

 Excelのフォームで「行の追加」をしたら余計な罫線が入ったり、そうしてできたセルにテキストを入力したら周囲とは違ったフォントサイズになってしまったり、だからといってコピー&挿入をしたら隣の枠のレイアウトが崩れてしまったり、あるいはセルを結合しているためにペーストできなかったり、といった経験は誰にでもあるのではないだろうか。そして、心の中でフォーム作成者のセンスのなさにがっかりしながら、セルごとに書式を設定し直しているのではないだろうか。その時間のなんと無駄なことか。配慮が足りない作成者のおかげで、そのフォームを使うすべての人が毎回いくばくかの時間を損失するのである。そのコストたるもの、考えただけで気が遠くなる。

 これが経歴書を書くときだけ、あるいは月に一度ぐらいの頻度ならまだ諦めもつく。問題はソフトウエア開発現場でのドキュメント作成だ。顧客が指定したExcelやWordのフォームと毎日向かい合うわけだから、センスが悪いものに当たった場合はまるで悪夢のようである。レイアウトの修正に気を取られてしまうことで、本来の目的であるドキュメントを書くという行為に集中できないのだ。

 ページ全体に枠をかけたいなら段落の書式に罫線を設定しておけばよいのに、なぜWordの表を使うのか。各ページの最上段に修正日時と担当者の記入欄が存在する必然性はあるのだろうか。それならヘッダーで設定しておけばよいものを、なぜ本文といっしょに流れてしまうのか。表なんて横罫だけで十分なのに、なぜ枠で囲みたがるのか。そういった疑問が次々に頭の中に浮かんできて、それだけでぐったりしてしまうのである。ソフトウエアのドキュメントなんてフリーフォーマットでよいのに、なぜ定型様式にこだわるのだろう。

 思い起こせば、私が初めてフォームに出会ったのはもう25年以上前のことになる。大手電機メーカーで、火力発電プラントのソフトウエアを開発する仕事だった。コピー機はあったがパソコンはまだ普及しておらず、ドキュメントは紙に鉛筆書きだった。大抵の場合はヘッダーとページ枠だけのほとんど白紙のフォームを使うことになっていたから、パソコンでタイプするのに比べれば非効率であるのは当たり前だが、書く側にしてみればかなりの自由度があった。

 そういう「堅い」現場に在籍していたのはほんの半年ぐらいだったので、その後どういう経緯があったのか本当のところはわからない。しかし、現在のように数々のフォームをそろえるようになったのは、この直後ぐらいからではないだろうか。