ヒューマンスキル分野の“有名人”であり、ITproや日経コンピュータでおなじみの田中淳子氏と芦屋広太氏による往復書簡をお届けします。今回は芦屋氏が「指導を止めたら伸び始めた」部下について話します。(編集部)

淳子さんへ

 最近、考えさせられる出来事がありました。私の部下の大迫君(仮名)(ちなみに男性です)がある時を境に、仕事振りが変わってきたのです。いわゆる「伸びる」状態になりました。非常に喜ばしいことですが、その理由がこれまでと違っているので、どうしたものかと思っている次第です。

 大迫君がどう伸びたかというと、「よく考えてから動く」ようになりました。それまでの彼は、思いついたら何も検証せずに動くタイプの人間でした。だから、よく失敗していたんです。

 「よく考えてから動け」「相手が否定に備えネガティブチェックをしろ」「選択肢はできるだけ多く用意しろ」---彼にはこうしたことを口をすっぱくして言ったものです。

 でも、「あれしろ」「これしろ」「○○はやったか?」と何度言っても、相変わらず深く考えずに行動して失敗してしまう。時には彼に厳しく言い過ぎて反省もしたし、あるときは優しく言い過ぎて「効いてない」と悲しくなることもありました。どちらにしても、大迫君の仕事振りは全く変わらなかった。彼は長い間「伸び悩み」状態にありました。

 淳子さんはすでにご存じのように、私が指導しているヒューマンマネジメントは、技術や知識体系などのスキルセットと、意欲ややる気などのマインドセットからできています。文章をわかりやすく書くことを例に採ると、「結論から書く」「主張の後には必ず理由を書く」といった文章を書く上での技術がスキルセット、「事前に文書の目的を徹底的に考える」「何度もチェックして他人に見せ、指摘されれば何度でも根気よく書き直す」といった意欲ややる気にかかわることはマインドセットです。

 私は人を教育する時はまず、その人のマインドセットを増やすように徹底的に指導します。意欲ややる気を出さないうちに、スキルセットが身につくはずがないからです。

 そうやって多くの人を指導してきた経験があるから、大迫君にも同じような指導をしていました。ところが、大迫君のマインドセットは思うように増えませんでした。いろいろなやり方を試したのですが、思うようにいきません。

指導を止めたら伸び始めた

 で、どうしたか。私は彼への指導をいったん止めることにしました。「伸び悩む部下を厳しい指導する上司」というのはよくある図式です。これは、「そのお陰で部下は確かに伸びた」と周囲のだれもが評価できる時だけに許されるものだというのが私の考えです。伸びない人材を厳しく指導することは、単なるパワーハラスメントでしかない。そんなことをしても会社にも、上司にも、そして部下にも良いことはありません。

 だから、私は大迫君をこれ以上、厳しく指導するのは止めるべきだと考えました。指導を決してあきらめたわけではありません。良い指導方法を思いつくまでは止めようと思ったのです。

 大迫君がぐんぐん伸びるようになったのはその後です。不思議でしょう? 周囲が認めるくらい動きが良くなり、考え方もしっかりしてきたのです。まだまだという部分もたくさんありますが、少なくとも「考えて、結果を想定しながら動く」ようになった。

 この事実に最も驚き、最も喜んだのは私です。私は彼にいったい何をしたのだろう---正直なところ、よくわかりません。少なくとも、論理的に誰もが納得がいくように説明するのは難しい。それでも淳子さんや読者、さらに今後の私自身のためにも、何をしたのかを説明してみます。