多様なセンサーの普及によって、ITは今、実世界のデータをどん欲に取り込み始めている。実世界とITが緊密に結合されたシステムを「Cyber-Physical Systems(CPS)」と呼ぶ。ここで必要になるのは、「人間情報」を活用するために、サービスと科学との間に新しい関係を創ることである。今回は、CPSでは不可欠な大量データ処理について、統計学の視点から今後の方向性について考えたい。

 「複雑さ」「不確実さ」「多様な価値観の相克」といったことが、ビジネスや政策の課題として華々しく演出されて久しい。現実世界とサイバーシステムを融合するサイバー-フィジカル・システム(CPS)においても、爆発するデータとその不確実性の問題が課題になってくる。本連載でも繰り返し議論されてきたし、2月3日に開かれた「ソフトウェアジャパン2011」のパネルディスカッションにおいても「多様な価値観の相克からどのように合意形成していくか」が、大きな議論になった。

諸外国にあって日本にない「Statistician(統計家)」という職業

 複雑さや不確実さに対するソリューションとしてはこれまで、インフラ特にICTを活用した情報収集が強調されてきた。しかし、情報の収集・コミュニケーションといった人間と情報とのインタフェース部分だけが産業として成長している感が強い。情報をいかに料理するかといった側面が、日本では軽視されてきているのではないだろうか。

 筆者は、情報の価値マネジメントをなりわいとする「Statistician(統計家)」という、日本では馴染みのない職業についている。そのため、上記のような指摘は、Statisticianゆえの「ひがみ」だととらえられてしまうのではないかとも危惧する。しかしStatisticianは、諸外国では当たり前の職業であり、改めて注目を集めている。

 例えば、米New York Times誌は2009年8月5日、『For Today’s Graduate、 Just One Word:Statistics』という記事を掲載した。その中で、米グーグルのチーフエコノミストであるHal Varian氏が「今後10年で最もセクシーな職業はStatisticianであると主張したい」と述べている。デジタル情報の“爆発”以来、有力企業で博士号を取得後直ちに年間12万5000ドルを稼げる“日の出の勢い”の職業がStatisticianだという。

 IT経営の先鞭をつけた、米MITディジタルビジネスセンター長のブリン・Brynjolfsson氏も、同記事の中で、「今や、人間がデータを用いて、分析し、意味を引きだす能力が問題になりつつある」と語っている。この記事に前後して米IBMは2009年7月28日、「BAO(Business Analytics and Optimization)」を強化するために、統計解析とデータマイニングの有力企業である旧SPSSの買収を発表している。

Statisticianは社会の方向性を示す専門コンサルタント

 東洋大学教授の渡辺美智子氏は、日本における統計教育の停滞を危惧し、様々な活動を続けてきた教育者の一人である。同氏によれば、米国には、大学入学前に大学の単位を高校で先行取得する制度があり、いまや優秀な米国の高校生が統計学に熱中しているといっても過言ではないそうだ。

 ところが、統計学科は日本の大学には全く存在しない。一方で、OECD(経済協力開発機構)諸国や、中国、韓国、台湾の大学に存在し海外では、単なる統計学科はもとより、生物統計学科といった、より専門性の強い大学・大学院が設置されている。

 例えば、韓国では統計関連学科として、統計学科が16、情報統計学科が19、応用統計ないしは応用統計情報学科が5、生物統計学科と保険数理統計学科がそれぞれ一つある。これに加えて、統計関連学科として位置づけられている、Data Business学科、e-business学科なども存在する(出所:Korean Statistical SocietyのWebサイト)。

 また、日本学術会議数理科学委員会[1]によれば、中国でも2000年以降積極的な統計家育成が興り、2005年時点で統計学科の数は161、学生総数は2万5000人だという。この他にも、統計専門学校が300校設置されており、国家人事院が「Professional Statistician」と「Senior Statistician」を認定している。

 すなわち、日本を除く先進諸国では、大きな大学には統計学科というものが必ず設置されていると考えた方が良い。では、海外に膨大にある統計学科の学部・大学院は、どのような人材を育成しているのだろうか?

 そこで育成されているのは、統計研究者としての「統計学者」ではなく、専門職としての「Statistician」である。統計学科の学生にとって、統計のPh.D(博士号)を取るということは、大学に留まることではない。産官学の様々なプロジェクトの中で膨大なデータを分析し、社会やビジネスのモデルを構築し、進むべき方向性を示す専門コンサルタント、あるいは昔の用語で言う「参謀役」「軍師役」として社会に貢献することだ。