世界中の政府や大企業を敵に回し、ネット空間を舞台にした情報戦争を仕掛ける「ウィキリークス」。ジュリアン・アサンジ氏率いるこの非政府組織が、前代未聞の内部告発サイトを展開する狙いは何か。誰がどのように情報を漏らしているのか。なぜ、潰されないのか。気鋭の国際政治アナリストが空前の情報戦争を読み解く。

菅原 出/国際政治アナリスト


イラク治安機関による凄まじい虐待

 2010年10月22日、ウィキリークスは、今度は39万1000点にのぼる主にイラク戦争に関する米軍の機密文書を公開した。2004年から2010年1月までの期間をカバーするケタ違いに膨大な量の文書であった。

 すでにその1週間ほど前から、米国防総省は「ウィキリークスが新たな暴露を予定している」と警告を発し、大手メディアに対してウィキリークスに協力しないよう要請を出す一方、120人から成る「ウィキリークス対策チーム」を編成して、公開される約40万点の文書をチェックして、米軍に対するダメージの度合いを調査する準備を整えていた。

 しかし、その要請も空しく、今回もまた米『ニューヨーク・タイムズ』、英『ガーディアン』、独『シュピーゲル』などの欧米大手メディアとのコラボレーションにより、世界同時公開という手法が取られ、大きな話題を呼んだ。

 この「イラク戦争文書」が明らかにしたのは、米国による軍事介入とその後の占領政策が、イラク社会に残した傷跡の深さだった。米政府が「中東における民主国家のモデル」として賞賛する新生イラクの治安機関による凄まじい虐待や、隣国のスパイたちの暗躍とテロ工作、そして西側民間軍事会社による民間人の殺戮など、常軌を逸した事態の数々が、現場の米兵たちによって記録されていたのである。

 「2009年8月26日:米軍を含む連合国軍のチームは、タカダム基地近くで起きた自動車爆破テロに関連して逮捕されていたジャシム・モハマド・アフメド・アル・シハウィの死後検視を行った。この拘束者はサクラウィーヤの警察署からラマディのイラク・対テロ部隊に尋問のため移送されていたが、拘束中に自殺したと報じられていた。連合国軍のチームが死後検視した結果、拘束者の身体に殴打されてできた痣や火傷の跡が見られ、頭部、腕部、胴体、脚部や首にも負傷の跡があることが確認された。連合国軍のチームはこれらの負傷は虐待によるものと報告。イラク警察は拘束者の死亡の原因について調査を行うと報じられた。新たな情報が入り次第最新状況を報告する。」

 また以下のような簡単な報告書もある。

 「2008年12月3日:タハリールの地元の警察署長との面談では、バシール首長は警察で拘束中に腎臓病で死亡したとされていた・・・(中略)連合国側の評価:バシール首長の胸部に説明のつかない外科的処置の跡が見られた。切り口は3~4針で閉じられていた。また顔面、胸部、足首や背中にも殴打されてできた痣が見られた。」

 「不審な事件(Suspicious incident)」というカテゴリーに含まれているこうした報告書は、現場の米兵たちによって無感情に淡々と記されているものの、イラク治安機関が拘束者たちに凄まじい拷問、虐待を強いて、拘束者たちを死に至らしめている様子を物語っている。

 また米兵たちの見ている前で虐待が行われていることを示す報告書も多数存在する。

 「2006年8月17日:第300憲兵中隊は、ラマディの警察署でイラク警察が拘束者に対して虐待を行っていたと報告。米兵はイラク警察官が拘束者の背中をPR24警棒で殴打し続け、別の警察官が別の拘束者を蹴っているのを目撃。その夜、米兵は廊下を歩いている途中、鞭で激しく叩いている音を聞き、ドアを開けてみると、警官が電気ケーブルで拘束者の足を鞭打っていた。その晩、米兵は警官が拘束者の背中を電気ケーブルで鞭打っているのを目撃した・・・。」

 ここで「米兵」とした部分には、原文では「~軍曹」というように個人名で記されており、個人名の部分が削除されて公開されてある。アブグレイブ収容所における米軍による捕虜虐待も酷かったが、「民主国家」イラク政府の警察や軍も、サダム・フセイン時代と変わらぬ恐ろしい虐待や拷問を続けていることが、これらの文書で明らかにされた。

 また、米軍自身がイラク人拘束者に尋問をする際に、“悪名高い”イラク警察の部隊に引き渡すことを脅しに使っている事実も判明した。