1960 年生まれ、独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から、現在に至るまでの生活を振り返って、順次公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も、フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も、“華麗”とはほど遠い、フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。
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 会社勤めを辞めて独立してから10年になる。最初は特定の仕事仲間との関わりで仕事をもらっていた。営業担当が持ってきた仕事を数名の技術者で振り分けることになっていて、私はそのおこぼれにあずかって生活していたのである。その後いろいろあり、2007年の春、単身で外に出て仕事をする決意をした。ネットで人材紹介会社を探し、その会社を経由して仕事を紹介してもらい、客先に常駐して案件をこなしてきた。契約形態は個人事業主契約、つまり、人材紹介会社の社員ではなく、顧客から紹介会社を通して委託で仕事をする形だ。

 仲間内で仕事をしていたころは、自分が顧客を丸抱えするスタイルになるので、四六時中が仕事モードになってしまうし、仕事をしただけの報酬が得られないこともある。ただ、大変な代わりに単価は多少高めに設定できる。それに比べて常駐の仕事は単価は多少低いものの、毎月働いた分だけ確実に収入があるし、就業時間外に拘束されることもない。この状態でしのいでいけば、いずれまたチャンスが来るだろうと思っていた。

 しかし、世の中そうは甘くない。一つの契約の長さは案件によって異なる。中には長期希望の顧客もあるが、その組織に首まで漬かる覚悟が要る。長期が向いていないのであれば3カ月から半年ぐらいの案件を継いでいくしかない。しかし、不況のあおりで大幅に単価が下がってしまったので、契約が終わってからその次が決まるまで1カ月以上空くと、経済的にかなり厳しい。これでは貯金などできたものではない。今考えてみれば、あと1~2年早く決断すべきだったのかもしれないが、後悔先に立たずである。

 不況だとか単価が低いとか案件が少ないとか、ぼやいてばかりでうんざりされるかもしれないが、実は私が新しい契約を取るに当たって決定的に不利な条件が一つある。それは年齢である。ソフトウエア業界に詳しい人でなくても、35歳定年説というのを聞いたことがあると思う。人間の脳は35歳ぐらいで理解力や判断力が落ちてしまうので、40代以降になるとこの業界では役に立たなくなってしまう、というものだ。

 ソフトウエア業界で仕事をするようになり、50代の技術者が活躍している現場を経験したり、自分自身も40代にもかかわらず年齢や資格を問われることなく仕事に追われていたり、そういった日常の中で35歳定年説などはすっかり忘れていた。いや、既に時代は変わり、過去のものだと思っていた。だから、50代を目前にした今、年齢が大きな障壁になることを改めて思い知らされる機会があり、軽いショックを覚えた。35歳が定年なら、それよりも15年近く過ぎている私は一体何者だろう。戦力から外されて、なお現役にこだわり続ける役立たずの時代遅れだろうか。そうは思えないし、思いたくもない。