多様なセンサーの普及によって、ITは今、実世界のデータをどん欲に取り込み始めている。実世界とITが緊密に結合されたシステムを「Cyber-Physical Systems(CPS)」と呼ぶ。ここで必要になるのは、「人間情報」を活用するために、サービスと科学との間に新しい関係を創ることである。今回は、その理由を解説すると同時に、「先端技術」「人間科学」「サービス」「ビジネス」の各分野から集まった30人を超えるキーパーソンが議論し導き出した「直島宣言」を紹介する。

 「ITが転換点に差しかかっている」――。多くの人が、そう感じているはずだ。技術の強さが事業の強さにつながらなくなっている。だが、米国のIT関連企業は、サービスを有効活用しながら、その存在感を高めている。それに対し日本のIT関連企業は、それほどの存在感を出せていない。日本では、IT産業やエレクトロニクス産業の価値や投資効果に対する見方が厳しさを増している。ITを支える部品産業において、日本の先行きは見えにくい。

 こうした閉塞感の打破に向けて、本連載のテーマである「サイバー・フィジカル・システム(CPS)」が、その鍵を握る可能性がある。しかし、そこで問題になるのは、単なる技術の高度化とは異なっている。「フィジカル(実社会)」の重要な部分を占める“人間情報”を活用するには、サービスと科学との新しい関係を創ることが必要になるからだ。

 こうした認識から生まれたのが、新しい時代のビジョンとしての「直島宣言」である[1、2]。「先端技術」「人間科学」「サービス」と「ビジネス」の各分野から、30人を超えるキーパーソンが瀬戸内海の直島に集まり、3日間缶詰めになって議論して導き出した。

科学が技術とサービスを牽引する時代に

 最初に、「直島宣言」の背景を説明したい。多くの人は「応用や市場が、技術を牽引する」と考えている。しかし現実には、大量の人間・社会のデータを前提にした科学が、技術とサービスを牽引する時代が始まっている。

 20世紀の科学は、相対論により時空を、量子論により物質の根源を、宇宙論により万物の起源を、また生命論により命の起源を、それぞれ理解してきた。そして、これらの理解が先端技術を生み出してきた。

 その中でITは、相対論により生まれた原子力のエネルギーを使い、量子論による半導体伝導のスイッチを基本要素にし、宇宙論と宇宙開発で培われた材料やプロジェクトマネジメント技術を基盤に、生命論を基礎として発展する医療やヘルスケア市場で成長している。

 しかし、科学のフロンティア(最前線)は常に動いている。実は、ここ10年を見れば、「人間や社会の科学」ともいうべき分野が科学のフロンティアとして急発展しており、英『Nature』誌などへの論文も増えている。これは従来の人文・社会科学とは異なり、情報技術による大量データを活用することで社会や人間を定量的に科学するものである。

 例えばWebのリンク情報として、あるいはメールのログとして記録された情報を使うことで、人間や社会のハードな科学が誕生しつつある。実際、経営破綻した米エンロンのメール記録は、その調査過程で公開されている。

 このように、たまたまサイバー空間に記録されていたデータを解析するだけでも、新しい知見が明らかになってくる。しかし、扱えるデータは、その由来からサイバースペースでの活動に偏っていた。実世界における人間行動の活動データは十分とは言えず、Webやメールといったデータだけでは、科学の発展にも限界がある。

 この限界を突破するのがCPSの本当の意味である。サイバー情報を超えて、大量の実世界のデータを合わせることにより、人間や社会の科学的理解が一気に進むことが期待できる。

 ここで疑問を持つ人がいる。「社会や人間に、物質のような科学や法則性は成立するのか」「多様な文化で自由意志を持って活動している人間に、統一法則などあるのか」という疑問だ。

 科学の歴史を振り返れば、先人は常に現実の多様性と闘ってきた。例えば、アイザック・ニュートンの偉業は、「リンゴは木から落ち」「月は地平線から昇る」という多様な現実の背後にある、統一的な運動法則を見出したことだ。統一的な法則と多様性に満ちた現実とは、言葉としてみると矛盾しているように聞こえる。しかし、両者は科学では矛盾しない。むしろ両者を調和させてきたのが科学である。