株式会社MORE・CAL代表取締役社長 熊澤壽

 「都合が良い」という言葉には、良い印象を持たない方が多いと思います。「都合」という単語そのものが「御都合主義」や「都合のいい奴」などのマイナスイメージを持つからでしょう。

 しかし誰しも「都合が良いこと」に意識を向けて過ごしているのではないでしょうか?自分に都合が悪いことは避けたいものです。個人的な物事を自分の都合に合わせて運ぶのは決して悪い行為ではありません。

 しかし経営者やマネージャーなど組織運営の責任者として意思決定を行う場合となると、話は別です。自分あるいは自部門だけに都合良く方向性や戦略を決めると、大きな間違いを犯し、大きな損害を受ける可能性があります。

 システム構築においても同じことが言えます。特定人物や特定部門の都合に合わせてシステム構築を行うとき、全体最適とはかけ離れた結果に陥る可能性は飛躍的に高くなります。そしてどこの企業でも、「都合が良い」考え方がシステム構築時に蔓延してしまう傾向は否めません。

 すなわち、以下の関係者の都合によってシステム構築の行方が左右されがちです。

・経営者
・IT(情報技術)ベンダー
・コンサルタント
・財務本部長
・現場管理者
・現場の作業者

 上記以外にもまだまだ色んな都合が存在するのですが、すべての都合を考慮した、全方向的で完璧なシステムを構築することは、時間とお金と人員を無制限に投入することが許されない限りはあり得ません。いずれかの関係者の都合に合わせたシステム構築がなされていると考えられます。

 しかし、本来、最も重要なのは「企業にとって最も都合のよいシステム」であるはずです。そのためには、業務プロセス・業務ルールなどの変更や業務自体の統廃合の断行が求められます。

 ところが、ある機関のアンケート結果によりますと、新たな基幹システムの導入を断念した理由で断然多かった回答が「自社の業務や商習慣に合わない」だったそうです。ということは、業務プロセスやルールの変更といった本格的なBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)に取り組む意向や覚悟が無いことを物語っているわけです。

 ここで、ある企業の事例を紹介します。企業名は仮にA社とします。A社はERP(統合基幹業務)システムを導入し比較的問題無く運用していました。ある時期に「都合」にかかわる問題が発生しました。A社の財務部門が第1四半期の売り上げを翌月1日に締めたところ、計画値を3億円上回っていたのです。第2四半期の予測は非常に厳しいものだったために、財務担当者は上回った前期の3億円を第2四半期に移動させました。勘定科目の売り上げを前月に遡って3億円マイナスし、当月分で3億円を計上したのです。

 これはERPの特性を全く無視した行為です。この行為のおかげで在庫・原価・売掛金などの数値すべてがマスターとトランザクションの間で誤差を発生させ、結果として合計で800件近くのデータを修正する羽目になってしまいました。

 ERPでない、単機能の財務システムであれば製造や販売システムとは密に関連づけられていませんから、売り上げを移動しても手作業で何とか修正できたでしょう。

 しかし売り上げの3億円は複数の製品を複数の倉庫から複数の顧客に販売した結果ですから、ERPで売上金額だけを変更しようとしても、ひも付けられた売上単価や売上原価、製造原価との整合性が無くなってしまいます。

 IT部門から抗議を受けた財務本部長の一言は「そんな融通の利かないシステムなんか止めちゃえ」というものでした。確かに上記のような調整をスムーズに行えたほうが財務本部には都合が良いかもしれません。しかしコンプライアンス(法令順守)の観点から考えると、財務本部長が正規の手続きを踏まずに勝手に数字を変えることができるシステムは、将来にわたる大きなリスクになります。

 財務本部長が行った行為をIT部門が即時に発見し、問題提起したうえでデータを修正できたことは、ERPが持つコンプライアンス対策への有効性を再確認した出来事でもあったのです。
 
 このコラムの第1回でもお伝えしましたが、私は現職で某企業にJ-SOX法(内部統制報告制度)に対応できる事前決裁方式の価格決定プロセスの構築を提案したところ、「仕入れ価格が決まる前に販売価格を決めることがあるため、そのような仕組みでは業務に支障を来す」との理由で断られたことがあります。日常業務を素直に反映した意見ではありましたが、仕入れ価格が決まる前に販売価格が決まる問題を軽視した現場の御都合主義だったと言わざるを得ません。

 残念ながら、ほとんどの企業においてこのような傾向が否定出来ません。ITシステムはひとたび構築するとプロセスやフローを変更するのは容易ではありません。本来守るべき基本的なルールやコンプライアンス要件をシステムに反映しないことは、将来の大きなリスクになります。中長期的な成長を志す企業は、現場の御都合主義に対して寛容になり過ぎず、全体最適の視点でシステムを構築することが不可欠なのです。

熊澤 壽(くまざわ ひさし)
独立系IT・ビジネスコンサルティング企業、株式会社MORE・CAL代表取締役社長
熊澤 壽(くまざわ ひさし) 1957年生まれ。CSKを経て、1985年にネミック・ラムダ(現TDK-Lambda)入社。同社にて取締役マーケティング本部長や海外子会社社長、執行役員BPR推進室長、執行役員情報システム本部長、執行役員管理本部長を務めERPの全社導入やJ-SOX法対策を指揮し、インド系IT企業の代表者をした後に独立。2010年4月より現職。株式会社MORE・CALのホームページ。ITproにて『“抵抗勢力”とは、こう戦え!』を連載。