MDM(マスターデータマネジメント)への関心が高まっている。システムの適用範囲やシステム連携の広がりで、マスターデータ管理やマスターデータ統合へのニーズが顕在化しているからだ。本連載では、MDMに取り組む際に必ず必要になるポイントを中心に、実践的な方法を解説する。第1回では、MDMを極めるためのポイントを全体的に紹介した。今回は、もう少し掘り下げ、MDMへの“道”、すなわちマスター統合アプローチに焦点を当てる。

 MDMプロジェクトに携わっていると、次のようなケースによく遭遇する。プロジェクトが始まると、まず「マスターデータ・トランザクションデータとは何か?」を定義する。そこから、マスターデータをさらに、商品マスターや得意先マスター、従業員マスターなどと具体的に定義していく。すると、「ところで商品マスターって何だっけ?」「そもそもマスターって何だっけ??」と“先祖返り”する場面が散見されるのだ。

MDMに通じる老子の教え

 これは、システム構築というデジタルな世界に身を置きながら、なぜか割り切れないアナログなイメージだ。プロジェクトメンバーの間では必ず、「MDMって哲学的だよねぇ」という言葉が飛び交うことになる。

 そんな場面で筆者自身は、「老子」を思い起こすことが多い。老子の第1章は、こんな句で始まっている。

「道可道 非常道 名可名 非常名 無名天地之始 有名万物之母」
(道の道とすべしは、常の道ならず。 名の名とすべしは、常の名ならず。名無きは天地の始まり、名有りは万物の母)

 少し噛み砕いて説明すると、こんなことを言っている。

「これこそが理想的な「道」だといって人に示せるような「道」は、常に変わらない真実の「道」でない。これこそが確かな「名」だと言い表せる「名」は、全く不変な真実の「名」ではない。「名」として表せないところに真実の「名」は潜んでいて、そこに真実の「道」がある。それこそが、天と地が生まれ唯一の始まりなのだ」(参考文献:金谷 治著、『老子』、講談社)

 この言をMDMの世界に置き換えてみると、どうなるだろうか?仮に「道」を「マスター統合アプローチ」、「名」を「マスターデータ」に読み換えてほしい。すると、こんなことになる。

マスター統合アプローチを定義しマスターデータを定義したところで、定義した瞬間から変わり続けるのだから、「これが本当のマスターデータだ」というものは存在しないのだ。

 MDMの連載で、「本当のマスターデータは存在しない」と言ってしまっては、なんのためのMDMなのかと疑問を抱かれても不思議はない。システムの世界において、要件定義・設計とデジタルにことを運んでいくなかでは、理解され難い発想かもしれない。それでも筆者は、これこそが正にMDMの特徴だと痛感している。

MDMは見直し・再構築が常に必要

 第1回で紹介した「タオル」の例を振り返ってみよう。「タオル」をマスターデータとして定義し維持管理することが非常に難しいことが分かると思う。お歳暮など贈られる「ギフトセット」や、百円均一で売られている「雑巾」、色違いや、デザインは一緒でもサイズが違うなど、少し考えただけでも色々なパターンが挙げられるからだ。

 仮にこれらが定義できたとしても、その後に「タオル生地を使った足拭きマット」が発売されてしまえば、その定義に悩むことになる。そうこう議論しているうちに「ところでタオルってなんだっけ???」となってしまう訳である。

 もちろんMDMアプローチにおける王道はある。セオリーとして取るべき段取りも存在する。ただし、目的やマスター種別、その範囲といった条件によって、その段取りは異なってくるし、一度決めたMDMアプローチが陳腐化し、ある局面では不適切なアプローチになってしまう可能性も高い。

 MDMアプローチでは、常に見直し再構築しつつ、タイミングに応じて柔軟に段取りを取捨選択することが要求されるのだ。