昔話に、最高の財産は何を問われて、いろいろと悩んだ末、それが子供であるという結論を出すというものがある。至高の財産とは何かを考えるとき、生きることに価値があるならば、肉体的には始皇帝が追い求めたような「不老不死の妙薬」となり、精神的には諸宗教が教えるような魂の永遠を願うことになるだろう。そして、生物学的には自分の遺伝子を残すこと、それがダメなら種の保存ということになるのだろう。だから最高の財産が子供であるというのは、なかなかの慧眼とも思える昔話である。

 いかなる財貨よりも「生」こそが価値だとは、洋の東西を問わず、一種の教訓となっている。長い目で見れば、これからの世界で覇者となるものがいるとすれば、その「種としての生」にかかわる、多様な遺伝子の保存に成功したものではないかと思えるのである。それをにおわせる話を聞いたことがある。大学での講義の終了後、ある学生にこんな質問をされたことがあるのだ。

 どこで仕入れた情報か、「ネッシーは既に捕獲されている。にもかかわらず見せ物にしていない。その理由は何だと思いますか」という質問であった。ネス湖の大きさと推定される生物数から言って、ネッシーは仮にいたとしてもそれほど大きな生物ではない。だから現実のこととは思えないが、理論的には説明がつく話である。「恐竜か、あるいは何か珍妙な生き物が取れたのだとしたら、それが既存生物学体系の崩壊の危険があるから、生物学との整合性が取れるまでひそかに研究するのだろう」と答えたのであるが、よりありそうなことなのは「生の価値」を扱う遺伝子研究に使うことである。

 これからの世界において、遺伝子こそは人類という種族の不老不死につながる可能性がある研究分野だと思われる。だから、ある意味で危険であり、ある意味では希望をもたらす。ともかく、取り扱いには注意が必要なのだ。エコロジーの価値が多様性であることはエコロジストの共通認識であるが、多様性とは何もCOP10でいう生物多様性に限らない。文化的多様性も重要である。同一生命種族内での遺伝子の多様性もまた大きな価値を持つ。

 この思いは、初めて環境問題に取り組んだころの記憶を呼び覚ますものでもある。それは大変な恐怖を与える内容であった。大学院の学生だったころ、指導教官であった恩師・石弘之先生に、最近では象牙の小さな象ばかりが増えているという話を聞いたことがあったのだ。象牙目当ての乱獲の結果なのであるが、それは、環境の変化に適応し、牙を小さくしていき、象牙を取る価値がないような象が増えているということではない。

 生命種族は様々な環境に適応する中で、時間をかけて多様な遺伝子を持つようになる。疫病によって個体の数が激減したとしても、1回の疫病ですべての生命種族が滅びることはない。多様な遺伝子があるため、必ず一定比率で耐性を持っているものがいるからである。最初の1回では、まずその疫病への耐性を持たないものたちが死んでいき、彼らの遺伝子は残らないで消え失せる。そして、別の疫病が襲いかかったとき、また耐性を持たないものたちが死んでいく。これが短い間隔で繰り返されると、遺伝子の多様性が失われ、画一的になっていく。その生命種族が繁殖能力を持っている以上、激減したとしても、総数だけは復活する。しかし、どんなに増えたとしても、多様性に富んでいる存在ではなくなっている。そして、最後に残った遺伝子に耐性の効かない疫病が襲いかかることで、ついにその生命種族は絶滅する。

 これは環境変化についても言える。例えば産業革命のときに、黒い蛾が増えて白い蛾が減った。大気汚染で町中が黒くなる中、白い蛾は目立つから、天敵に食われて激減していくが、黒い蛾は、逆に目立たなくなるから生き残りやすくなる。このため、より環境に適応した形で、白い蛾が黒い色に変化していったように見えたのである。象についても、大きな牙の象の遺伝子は残せなくなっていったから、小さな牙の象ばかりになっていたのだ。あるいは「夢の島」で棲息しているハエに殺虫剤が効かないという話も、多少の毒では効果がないスーパーラットが登場したのも、環境に合わせて変化したのではなく、殺虫剤や殺鼠剤への耐性の強い遺伝子が生き残ったということなのかもしれない。これらのことを考えると、最近ニュースとなった自然界で起きていることには、人類の未来を暗示するようにな恐怖を感じる内容が、しばしば見られる。

 例えば、ミツバチが減っているという養蜂家の話が、テレビなどを通じて伝えられてくるが、そのミツバチとは外来種である西洋ミツバチである。旺盛な繁殖力と急速な拡大で、1970年代にかなり問題となったセイダカアワダチソウも、群生している場所が減っていることで話題となったが、これも北米原産の帰化植物である。日本の湖沼を席巻する勢いであった特定外来種のブラックバス(オオクチバス)も、今や激減している。一時、ブラックバスによって完全占有されそうになった霞ヶ浦では、逆にめったに姿を見られなくなったということが話題になっている。ブラックバスが激減する前、私の周辺の河川で雷魚が見られなくなっていた。雷魚はどう猛で、ナマズを抜かせば、たいがいの水生生物に負けることはなく、小川をはじめいたるところに侵出していたのだが、それが急に見えなくなった。それが今度はブラックバスの激減となり、いまやブルーギルも減少しだしてるという。うるさいとの苦情で、駆除されていたウシガエルも減っている。

 雷魚、ブラックバス、ブルーギル、ウシガエルに共通していることは、環境適応力に富み、どう猛で捕食能力に優れていることである。セイダカアワダチソウはほかの植物の発育を妨げる「他感作用」(アレロパシー効果)を持ち、在来種植物を駆逐し、ススキの原がなくなるとうわさされた。つまり、これら外来種は、個別種同士の戦いならめったに負けない力を有している。だからこそ繁殖したのだ。

 もちろん、それらの激減には安易な遺伝子画一性の説明でなく、状況を踏まえた科学的な説明がそれぞれなされている。西洋ミツバチの激減は、ミツバチヘギイタダニという天敵の存在が語られている。セイタカアワダチソウは、その生息地の土壌内の養分を使い尽くしたことが指摘されている。雷魚もブラックバスも、産卵場所の問題などが指摘されている。ウシガエルについては、世界的両生類激減の中で語られることかもしれないから、それもまた恐ろしいことなのであるが。