1960 年生まれ、独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から、現在に至るまでの生活を振り返って、順次公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も、フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も、“華麗”とはほど遠い、フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。
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 人が皆、呼吸をして生きているように、技術者というのは、技術を吸ったり吐いたり、交互に繰り返すことで生きているのではないか、と思うことがある。仕事に追われる日々が続くとき、新しい技術を吸収する時間が取れないほど忙しい、と考えると悲観的になってしまうが、息を吐くのが無駄な動作でないのと同じように、溜め込んだ知識を使う時期というのは必要だし、息を吐きながら吸うことはできない。そして、やがてまた息を吸う時期が来るはずだと思えば、明るい気持ちで仕事に向かうことができる。

 いくら技術の革新が早いといっても、半年程度のブランクで埋められないほどの速度ではないはずだ。だから、あせることはない。それよりも深刻なのは、ノーマークのまま放置していたジャンルがいつの間にか成長していたり、自分の判断や知識にこだわるあまり世間とは違う方向を選択していることに長期間気付かなかったりするケースである。

 私がMicrosoft FrontPageと初めて出会ったのは、もう10年以上前のことになる。当時はまだ米Vermeer Technologiesという会社が開発・販売していて、Vermeer FrontPageという製品名だった。それまでテキスト・エディタでひたすらHTMLを打ち込んでいた私は、次はこれだと思った。タグのつづりを打ち間違うこともないし、閉じタグを忘れて悩むこともない。

 何よりもありがたいと思ったのは、テーブルの編集である。セルを結合・分割したり、書式を変更したりするのが一発でできる。そしてもちろん、修正のたびにWebブラウザで再表示してプレビューする必要もない。それまでスパンの数を数えながら作業していた私にとって、これは大きな進歩だった。そして、これからはHTMLの打ち込みは廃れていくだろう、と予感したのである。

 こうして私は、HTMLを書く機会があるときは必ずFrontPageを使うようになった。サイトやプログラムの設計も、必要があればFrontPageに合わせて変えていった。今では一般的になっている、テンプレート方式による動的なコンテンツ生成を取り込んだのもこの時期である。ロジック部分はプログラムで処理し、デザインはWYSIWYGで制作し、テンプレートの仕組みを使って動的ページを実現するというのが、このころから私のスタイルになった。

 ここまでほれ込んだFrontPageであったが、残念なことに周囲の受けはよくなかった。それとなく勧めてはみたものの、技術者たちはHTMLでコーディングするスタイルを変えようとはしなかったのだ。もちろん世間の大部分の人たちも同様であるらしく、フリーのCGIのソースコードを読んでみると、プログラムの中で、いわゆるprint文でHTMLを出力しているものも決して少なくなかった。こうして1年半ほどたったころだろうか。MicrosoftがVermeer Technologiesを買収することになり、製品名もMicrosoft FrontPageに変わった。

 自分の予感した通り、世の中はWYSIWIGエディタが主流になっていくのだという気がしてうれしかった。それまでは無償版のエントリ向けのFrontPageを使っていたのだが、名前の知られているMicrosoftの商品になることで、入手しやすくなることも私にとっては幸運に思えた。