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 トヨタ自動車の奥田碩相談役(左端)、ウシオ電機の牛尾治朗代表取締役会長(右から2人目)、京セラの創業者で現日本航空会長の稲盛和夫氏(右端)ーー。日本を代表する財界人がずらりと並んだこのインパクトのある写真は、今から10年前の2000年4月5日にDDI(第二電電)とKDD(国際電信電話)、IDO(日本移動通信)の3社が共同記者会見したときの光景だ。そして同年10月1日、この3社が合併してKDDIが発足した。奥田氏、稲森氏らに挟まれているのは、KDDIの初代社長となったDDIの奥山雄材社長(当時、右から3人目)、KDDの西本正社長(当時、右から4人目)、IDOの中川哲社長(当時、左から2人目)である。

 そんなKDDIは今年の10月1日でちょうど発足10周年を迎える。合併の翌年から10年近くにわたって社長を務めていた小野寺正社長兼会長は、節目を迎えるに当たって社長交代を決意。後継者として前UQコミュニケーションズ社長である田中孝司代表取締役執行役員専務を指名した。

 社長交代を告げる9月10日の記者会見で小野寺社長は、昨今の通信事業者を取り巻く競争状況の変化に対応する必要性を強調した。過去10年間は通信事業者が純増数を競う時代だった。しかし最近は、端末レイヤーのプレーヤーやネット系のプレーヤーとの、レイヤーをまたがった競争環境に移り変わってきている。トラフィック以外の売り上げを伸ばす必要があるわけだ。そこで新社長として、同社のソリューションビジネスの立役者である田中専務に白羽の矢を立てたのである。

 KDDIはこの10年間でNTTを追撃する2番手通信事業者として確固たる地位を築いた。しかし最近はかつての勢いが薄れているのも事実だ。新社長となる田中専務は「環境変化にKDDIは即応できていなかった」という認識を示す。「KDDIは16社の合併によって多様な人物が集まった会社。まずやらなければならないのは戦略を明確にすること。ベクトルを合わせることが重要だ」(田中専務)とする。

 上記の写真はその言葉通り、KDDIが複数の企業の合併によって生まれたことを思い出させてくれる。しかしこれから10年、変化の激しい時代を生き抜くためには、企業としてのさらなる一体感が求められる。