野村総合研究所で約20年間勤務した後に、人材派遣大手スタッフサービスのCIO(最高情報責任者)を務めて急成長を支え、『ダメな“システム屋”にだまされるな!』(日経情報ストラテジー編)の著者でもある佐藤治夫氏が、情報システムの“ユーザー企業”における経営者・担当者の視点で、考慮するべきことや、効果的な情報化のノウハウなどを解説する。(毎週月曜日更新)

 この記事が世に出るころ(2010年7月12日未明)には、11日投開票の参院選の結果がほぼ出ていることでしょう。前回(第33回)で指摘した通り、日本の情報化戦略やIT(情報技術)戦略があまり争点にならなかったのは残念です。

 選挙期間中の6月29日には、菅直人内閣の内閣官房国家戦略室に置かれている「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」が、いわゆる「国民ID」の導入に最大で約6100億円かかるという試算を含む中間取りまとめを発表しました(関連記事国家戦略室の発表資料)。しかしこれも選挙期間中にさほど論争になりませんでした。

 思えば、日本の国家IT戦略は、私が就職したころから今まで、あまり良いところがありません。2010年の今、私たちの身の周りにあるIT環境は、海外製のものばかりです。オフィスでは、米マイクロソフトのOS上の表計算ソフトでグラフを作ったり、米グーグルの検索エンジンを使って情報を探したりしています。仕事を離れれば、米アップル製のiPhoneやiPadで音楽を聞いたり、ニュース記事を読んだりしています。

メーカー育成までは良かったが・・・

 こうなるまでに様々な経緯がありましたが、要するに日本には“情報化の波”に対処する戦略が無かったのです。今でも無いと言っても良さそうです。次世代スーパーコンピューターに関する政策が迷走したことにもそれが表れています(関連記事)。

 コンピュータの黎明(れいめい)期だけを見れば、政府と、富士通やNEC、日立製作所など日本のハードウエアメーカー数社には戦略がありました。米IBMなど外資メーカーに対抗して、当時の通商産業省(現経済産業省)を本社とする“日本株式会社”は、国内のメーカーが優れたコンピュータ機器を自前で開発・製造できるまでに育てました。ここまでの日本は、明らかに戦略的に動いていました。

 この後、メーカーは日本中にハードを広く普及させることを考え、全国各地にソフトウエア会社を多数配置しました。ソフトは業種別・業務別ではなく、地域別にオーダーメードで対応するという、実に巧妙な戦略でした。

 地域会社がその地域の企業に合わせた情報システムを作ることによって、企業の数だけシステムができることになりました。同じ卸売業の在庫管理システムであっても、北海道企業と九州企業と関東企業では別々のものが出来上がることになりました。これによって、地域のソフト会社が収益基盤を確保するうえ、独自開発したソフトであるためソフトもハードも置き換えられるリスクを最小化したのです。