「オープンシステムは素晴らしいものに思えた。早く開発でき、拡張の自由度が高く、製品の価格自体も安いのでコストダウンもできる。だが実際に導入してみると、それまでメインフレームで培ってきた運用体制をたった半年で失った。あっという間だった」。合成ゴム製造大手の日本ゼオンの情報システムを開発・運用するジスインフォテクノの石橋健取締役は、1990年代半ばをこう振り返る。同社は現在、運用体制を10年越しで立て直している最中だ。

 オープンシステムの輝きに隠された影の部分。それが今ユーザー企業を苦しめている(図1)。早く安く作れるというメリットは、運用のことまで意識しないままにオープンシステムを乱立させた。その結果、運用がままならない状況を生み出した。新技術を使えるというメリットはベンダーの開発競争の成果だが、それが製品や技術の短命化につながった。マルチベンダーの製品を組み合わせることで1社に縛られなくて済むメリットは、製品同士やソフトとハードの組み合わせを複雑にして、一つの製品のみをバージョンアップできないといった制約を生んだ。

図1●オープンシステムのメリットとその影にある危機現在は影の部分にある危機が問題になってきた
図1●オープンシステムのメリットとその影にある危機現在は影の部分にある危機が問題になってきた
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 システムの開発・保守はビジネス側からスピードアップを要請される一方だ。オープンレガシーに足を取られては期待に応えられない。「ソフトバンクグループの通信3社を見渡せば、古くは日本タンデムコンピューターズ(現 日本ヒューレット・パッカード)の無停止コンピュータ、そしてAIXやHP-UX、SolarisといったUNIX OSを搭載したマシンがある。Windows搭載のサーバーマシンもNT 3.xから最新OSのものまで、ありとあらゆるハードがある」。ソフトバンクモバイルの平尾芳郎 常務執行役員 情報システム本部長はこう明かす。これだけのハード上で今もシステムが現役で稼働し続ける。「標準化なり効率化なりの手を打たなければ、(孫正義)社長の決断スピードにシステムの開発や改善が追い付いていけない」(同)。オープンレガシーの解決がユーザー企業の喫緊の課題になっている。

早く安くのツケ

 オープンシステムのメリットはどのような危機をもたらしているのだろうか。まず「早く安く作れる」というメリットが、冒頭のジスインフォテクノのように運用体制を崩壊させた。

 ジスインフォテクノは1986年以来、日本ゼオンの基幹システムをメインフレーム1台で開発・運用していた。「ソフトもハードもすべて中身を把握できていた。そのうえで日本ゼオンは1984年にデミング賞を受賞するなど品質の維持管理に努めてきたし、標準プロセスに沿った開発と運用を進めていた」(石橋取締役)という。

 だが、1995年にオープンシステムの運用を開始して、半年で運用が崩れた。オープンシステムの構築一辺倒になりサーバーの台数が増えるにつれ、障害が増え、原因分析に費やす時間が無くなり、どのシステムでどんな障害が起きているかを日次で把握できなくなっていった。その様子を石橋取締役は「もぐらたたき」と話す。起きた障害に対処しても根本原因に対処しないため、ある障害が別の障害の原因になったり、同じような障害が再発したりしていた。

 早く安く作れることでシステム構築依頼が殺到し、これに応えるために自社開発から外部委託へシフトした結果、開発効率を落とすことにつながった企業もある。1865年創業の老舗かまぼこ店である鈴廣蒲鉾本店(神奈川県小田原)は、1980年代から日本ユニバック(現 日本ユニシス)のオフコンで、かまぼこの生産管理や受発注システムといった基幹システムを構築してきた。これを1990年代後半にVisual Basic(VB) 4.0を使ったクライアント/サーバー(C/S)型にオープン化。ここで自社開発から外部委託に切り替えた。「自社内のシステム化要望の多さに応えるためだった」と吉田敏之 情報システム部 部長は切り替えの理由を話す。

 同社の各部門に加え同社が経営するレストランやドライブインからもシステム導入要望があがり、4人のシステム部員では対処しきれなくなったのだ。 2006年にはVB 4で構築したC/Sシステムは大小20にまで増えた。吉田部長は「オフコンのままでは無理だったがオープンシステムによって部門のシステム化要望に応えられた。業務が省力化できたのも確か」と話す。だが一方で「自社開発と比べて時間やコストがかかる割には、ベンダーと利用部門の間で仕様が食い違っており、納品後に改善要望が多数出ることが課題として残った」。