村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

 1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。近著書に『村上スキーム』。
 このコラムは、無料メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付されます。

2010年5月7日

 5月の連休に入り夕張もやっと春らしくなってきました。昨年に比べると春が遅く、まだ雪が残っていますが、町のあちこちでフキノトウが顔を出しています。

 ここへ来てから5月の連休には毎年カメラを片手に定点撮影をしています。同じ場所から写真を撮っていると、変わっていく地域を記録できる気がして、様々な想い出がよぎります。

 2日は当番医だったのですが、天気も回復して観光客が増えて花畑牧場では久しぶりにレジの前に列が出来ていました。少しだけ活気が感じられて、車通りも多くなりました。

 私は新体制になり相変わらず毎日当直ですが、時間外が少なくなったおかげで買い物に行ったり、衣替えをしたり、冬道具の後片付けに追われています。

 連休の始まりの3日間は毎日のように亡くなる方がいて、「検案」もあって寝不足で大変でしたが、いつものペースに戻り落ち着いてきました。

(編者注:「検案」についてご存じない方は、こちらをご覧下さい)

 30日には永森先生の同級生で、支える医療研究会のメンバーでもある橋本先生が応援に来て下さいました。

 海外の有名な雑誌(ネイチャー)に論文を載せるような偉い方なのですが、とても謙虚で恐縮してしまいました。今後も定期的に夕張へ来て下さるとのことで助かります。

 橋本先生はイギリスに住んでいたことがあり、食事をしながらその時の話を聞いていると、イギリスでは救急車は意識のない人しか使えないのだそうです。

 とても単純明快な基準で良いような気もしますが、CTスキャナの検査が3カ月待ちなんてこともあり、いかに日本の医療が恵まれているかというのを改めて認識しました。

 さすがにWHO(世界保健機関)が医療のレベルが世界一と評価しているだけはあります。しかし、日本ではいつも医療に対する満足度は世界最低です。

 医療を考える時に他の国はどうなのかといった視点を持たないと、他国から見たら日本の医療崩壊などはただの贅沢(ぜいたく)なのかもしれません。

 医療センターでは訪問看護の皆さんが奮闘しています。医師が減ったこともあり、今後の在宅医療は訪問看護が主流となって支えていくべきだと思っています。

 高齢者の一人暮らしが多い町ですので、看護師さんたちの丁寧な電話対応や訪問が随分安心感を与えている状態で、その結果として不要不急の急患が減り、少ない医師でも在宅を支えられています。

 本州では一般的なスタイルですが、北海道ではこのような形になっているところはまだまだ少ない印象があります。

 高齢者を支える福祉が充実して、それを支える最小限の医療を確保できれば財政の厳しい自治体でも高齢化を支えていけるように思えます。

 もちろんその前提に生きがい対策や高齢者の雇用対策を充実して、住民自身が予防や健康作り、検診に積極的に取り組めばさらに効果は現れてくるように思えます。

 相変わらず箱ものとしての病院にこだわり、集まる当てもない医師に頼っているといつまでも解決しない問題です。

 夕張でできたら他の町でできないはずはないので、もう少し頑張ってみようかと思います。

2010年5月14日

 同じ名前の事件はありましたが、夕張医療センターには私が勝手に「村上ファンド」と名付けた貯金があります。

 昨年私が賞をいただいたので、その賞金を基にして年間20件くらい行われている職員の学会や研修会活動の資金として使っています。つい最近も外部の方の寄付があり、それもこの基金に入れさせていただきました。

 学会活動に関しては、ただ単に参加するということより、日ごろの自分たちの活動を活字にして残して、外部の方に評価してもらう機会として活用したいと考えていますし、問題意識を持って仕事に取り組むためのもので、事務局も含めて職員の皆さんに学会への参加を勧めています。

 中には賞を取った方もいて、本人や職場の励みになることもあると思います。事務局の方も「命のバトン」をテーマに医療関係の学会で発表して、他の地域に広がったといったこともありました。

 学会と言っても必ずしも試験管でデータを取ったものである必要性はありません。日ごろの仕事で困ったこと、疑問に感じたこと、頑張っていることを少しだけ調べて、それを活字にするだけで、他の施設や地域の人たちにとってとても役に立つ情報になる可能性があります。

 特に夕張は日本で一番高齢化が進んだ市で、破綻していますので、同じように少子高齢化や財政難で苦しむ地域にとっては、悩み苦しんで行っていること自体が貴重なノウハウになるように思えます。

 ある時一部の職員からは、「誰かが学会等に出ると残った人たちはその穴埋めで大変なので、その人たちを評価するのは不平等だ」といった意見もありましたが、要は悪しき平等のために何もしたくないという風にも聞こえます。

 これはこの会社の方針ですし、そう言っている人が次に行けばいいだけの話です。

 そんなわけで自己満足に陥らないためにも、今後も各部門での年1回以上の学会参加を恒例のものにして、それを文化にしたいと考えています。

 逆に過去のことを考えると、外部の情報を知り、自分たちの活動を外部にも評価してもらうといったことをしなかったから、この病院が破綻したのではないかと思っています。

 その他、十分ではないですが研修や新たな資格を取るために、少しでもその助けになれば良いと思っています。

 夕張ではこの3年間で大きく変わったことがたくさんあります。

・ほとんど存在しなかった在宅療養をしている人が増えた
・住み慣れた夕張の在宅や施設で最期を迎える方が増えた
・救急車の出動が減った
・入院加療する人が減った
・検診を受ける人が増えた
・夕張で研修や見学に来る人が増えた
・薬剤師が在宅にかかわっている
・他の地域の支援を続けている など

 それだけでも題材になりそうですし、現場にはそんな題材がたくさんあると思います。逆にそれを感じていないことは問題だと思います。

 日本の医療は崩壊していると言っても他国に比べると評価が高い状態ですが、高齢化している割には福祉に予算が少なく遅れていると思います。

 そんな中でどのように福祉を充実させ、必要以上に戦う医療を支える側に持っていくかといったことは今後も課題になっています。

 「一部の住民の意識がこうだからそうする」ではなくて、「地域の将来や次の世代のことも考えて行動する」状態なのだと思います。

 今までできていない地域で新たな取り組みをやる場合には、誰かがやるのを待つのではなく、気が付いた人が解決していくためにすぐに取り組んでいく必要があると感じています。

 徐々に変えていくといったスマートなやり方は現場では理想論で、実現性がありません。

 やっているうちに変えようとする意識は消えて、後戻りして気が付けば手遅れになっているというのが夕張の教訓だと思います。