1日で作った最初のバージョン

 きっかけは、adamrocker氏が最初のAndroid搭載スマートフォン「G1」を入手したことだった。G1は日本国内向けの端末ではなく、当然日本語入力もできない。だが、手元にある以上、日本語を入力してみたい。そこで作ったのが「inJap」と名付けた日本語入力ソフトだった。グーグル検索に組み込まれている「Google Suggest」は、ローマ字で文字列を入れると、日本語の候補を返してくる。inJapは、このGoogle SuggestのWeb APIを応用して作った、いわば「なんちゃって日本語入力ソフト」(adamrocker氏)であった。

 inJapは2008年11月17日に公開され、開発者仲間から大きな反響を持って迎えられた。この反響を見て、adamrocker氏はこのソフトを改善しようと考えた。インターネット上でAPIが公開されていた「Social IME」の存在を知り、これを使った日本入力ソフト「Simeji」を開発し、リリースした。

 Social IMEは、インターネット・ユーザーの間で辞書を共有し、使えば使うほど賢くなる日本語変換エンジンとなるよう考えられたものである。Web上のテキストを収集して、統計情報を変換結果に反映させる事も行っている。「2007年度第1期 未踏ソフトウェア創造事業」に採択された研究プロジェクトで、当時、慶應義塾大学理工学研究科の修士課程に在学中だった奥野陽氏が開発し、インターネット上でWeb APIを利用できるよう公開したものである。

 この最初のSimejiは、Social IMEによる日本語入力機能を備えた一種のテキスト・エディタであった。そのリリースはなんとinJap公開の翌日である(2008年11月18日)。つまり最初のSimejiは、たった1日で作られたのだ。開発にかけた時間は、「1時間そこそこだった」というから、さらに驚く。

 この頃のSimejiは、Android MarketでなくBlog上にファイルを置いた、いわゆる「野良アプリ」として公開していた。1週間後「みんなにおだてられて」(adamrocker氏)、SimejiをAndroid Marketに公開する。当初は海外で入手したAndroid端末を日本に持ち込んで使う人や、シャープのPDA「Zaurus-SLシリーズ」(いわゆるLinux Zaurus)へAndroidをインストールして利用していたユーザーなど、先端的な人々を想定ユーザーとしていた。

 この状況が一変するのは2009年7月、NTTドコモが日本最初のAndroid搭載スマートフォン「HT-03A」を発売してからだ。「HT-03A」が発売されると、Simejiのダウンロード数はぐんぐん伸びていった。Simejiは、普通のスマートフォン・ユーザーが使うソフトとして認知されていった。2010年4月、NTTドコモが大々的なキャンペーンと共に「Xperia」を発売すると、ダウンロード数はさらに急増した。

数時間でのバグ修正も、「Simejiは名刺だから当たり前」

 筆者は、Twitter上でSimejiのバグ報告を目にしてから数時間で修正版が登場し、驚いた体験が何度もある。作者はいつ寝ているのだろうか?

 「ちゃんと寝てますよ」とadamrocker氏は笑う。ただ、インタビューを続けていくと「Simejiは自分の名刺のようなもの。名刺が汚れている、と思うと寝ている場合じゃないです」と本音とも取れる言葉も飛び出す。開発者としてプライドが、Simejiというソフトウエアを支えているのだ。

 表1を見ると、頻繁なリリース、機能追加、再設計、バグ取りを繰り返している。利用者が増え、端末の種類が増えると、バグ対応などの手間も増える。嫌気がさしたことはないのだろうか?

 そう質問すると、adamrocker氏は即答した。

 「ありません」と。

 多くのユーザーを抱えるこのソフトを、adamrocker氏は楽しみながら、このソフトを作り育てているのだ。