決しておもねず、決して妥協せず--。誰にもおもねることのない一人のエンジニア。決して人嫌いではないが、テクノロジがもたらす価値を社会に還元するために、常に最善を尽くす。そんなエンジニアとしての生き方を貫く主人公「渡瀬浩市」と、その秘書「高杉伊都子」、渡瀬に認められた中学生「金田京太郎」の3人が、純国産にこだわるエンジニア集団を訪れる。

「そういえば藤堂経営コンサルタントでは渡瀬様を初めとして、優秀で個性的なエンジニアの方々に出会うことができました」

 私は今思い出した昔のことを渡瀬に話した。

「そう言って頂くと光栄ですが、エンジニアにはこだわりが必要だと思います。そうした観点から申し上げますと、純国産の開発ツールとして今も健闘しているケン・コンピュータは、こだわりのエンジニア集団だと私は思っています。特に温厚な前社長、三輪太一社長の後を引き継いだ高木俊彦社長は、決して饒舌(じょうぜつ)ではありませんが、居合道でたとえれば、研ぎすまされた刃のように斬れる男です」

「藤堂社長のお供をして、よく人形町にあるケン・コンピュータを訪問しました。そういえば高木社長は、新選組の近藤勇のようなイメージがありますね」

「そうです。純国産の開発ツールにこだわる彼らは、まさに新選組のように誠を貫く男たちの集団なのです」

「新選組!? エンジニアなのに新選組みたいな会社があるの? 僕、是非、取材してみたいな。渡瀬所長、お願いだからケン・コンピュータを紹介してよ」

「京太郎君、会社訪問は遊びではないのよ。忙しいIT会社が子供の取材などに応じてくれるはずないでしょう」

 京太郎の好奇心は、どこまでエスカレートするかわからない。この辺でストップさせなければと、私は必死に止めた。

「金田君の探究心は気に入りました。私も子供のころは好奇心の固まりで、特にコンピュータはどうして動くのか?疑問に思っていました。でも、周囲にはそれを説明してくれる大人がいませんでした。疑問に思ったこと、調べたいことがあれば直接、話を聞くことも大切です。私がケン・コンピュータに取材のアポを入れておきましょう」

 意外な渡瀬の言葉だった。

「さすが渡瀬所長だな。僕、来週の水曜日が開校記念日で休校なんだけど、水曜日に取材できるといいな」

「京太郎君、大人は用事が多いのよ。取材は夏休みにお願いしたほうがいいわ。あら、もう6時だわ。渡瀬所長、きょうは長々とお邪魔して申し訳ありませんでした。とても貴重なお話をうかがうことができ、大変勉強になりました。本当にありがとうございました」
「僕もすごく勉強になったし、とても楽しかった! 渡瀬所長、どうもありがとう!」

 私は丁重に渡瀬にお礼を言って、「もう少しいたい」というような顔をしている京太郎の腕を引っ張り強引に連れ帰った。

 渡瀬からケン・コンピュータの話を聞いた私はその夜、部屋のライティングデスクのノートパソコンの前に座ると、藤堂経営コンサルタントの一室でケン・コンピュータの三輪太一前社長から昔話を聞いたことを思い出していた。

 三輪前社長は京都大学理学部を卒業後、1975年に日本IBLに就職した。1975年からの5年間、三輪さんの上司だったのが、伝説の営業マンと言われる佐々木賢吾社長である。佐々木社長は日本IBLを退職した後、1990年代にわずか5人で日本オラベルを立ち上げると、東証一部に上場させ米国本社と肩を並べるほどに急成長させた人物だ。

 その佐々木社長から「日本オラベルへ来ないか?」と再三、誘われていた三輪前社長であるが、もし日本オラベルに転職していたら、間違いなく副社長になっていたであろう。