環境問題を解決しようとするに当たり、『孫子』の兵法が重要なヒントを与えるとは誰も想像しないだろう。なにしろ孫子は総合的な戦略書ではあっても、環境問題に関しては一言半句も触れていないからだ。孫子の読者も、環境関係の仕事をしている人よりも、かっては軍事の専門家、現在はビジネスパーソンや文学者が中心である。加えて、戦略書としての孫子は、その名を知らない人はいないほど著名であるが、実際に読まれることは少ない。より正確には、手に取られることは多くても、真意が理解されることが少ないと言われている。

 孫子は、今から約2500年前に登場した兵法家・孫武の著した書物である。孫子の「子」は先生という意味だから、孫子孫子と言っているのは、実は孫先生と連呼しているのと同じである。実際に、2500年後の弟子の末座を占めているつもりの我が身にとっては、孫武先生と敬意を込めて呼んでもおかしくはないだろう。書物としての孫子の分量は、400字詰め原稿用紙に換算すれば、わずか17~18枚という短さ。しかも書かれている内容はごく一般的なことばかりである。しかし、その小冊子に書かれていることを完全に実行できた者は、ほとんどいない。最もよく孫子を体得したのは『三国志』に登場する魏の曹操と、日本の戦国武将・武田信玄ぐらいなものであろうか。

 戦略論と呼ばれるもので、孫子ほどに権威があり普遍的な存在は、ほかに見あたらないとされる。いかなる戦略書も追従を許さぬほどの哲学を持ち、戦略書であるとともに思想書でもあるからだ。軍事関係の書籍で、西の王座についている、クラウゼヴィッツの『戦争論』でさえも、孫子ほど深い含蓄は帯びていないと指摘する者もいるぐらいなのだ。

 と、ここまで述べてくれば、昨今「戦略」という用語が語られることが多くなったマーケティング分野で孫子が出てくるのは分かるとして、環境の問題について語るのに、なぜ戦略書 孫子を出しているのかと改めて疑問に思われるかもしれない。中国には「武経七書」と呼ばれる兵法書があり、孫子はその筆頭である。だが、こと環境がらみとなると、孫子の解説書的存在である『六韜』などの方が上で、もし兵法書に環境思想の要素が求められるとすれば六韜が筆頭になるのが自然だ。六韜は、自然の摂理を重視し、農業を商工業よりも重んじているからである。つまり自然の摂理や法則に従うのが天命であり、そのままに支配するのが善政であり人々に幸福をもたらすが、それから逸脱すれば人心は乱れ、支配は失われると述べているのだ。これは、日本の経世家でありエコロジストでもある熊沢蕃山の環境思想にも通じるものがある。

 しかし、あえてここで六韜ではなく孫子を参考にしようというのは、自然や環境に直接触れているかどうかよりも、その内容の奥深さにある。普遍的で、思想書であり、戦に勝つ原則を教えてくれる孫子であるならば、あらゆる時代に存在するという意味で、有史以来絶えず存在し続け、戦争と並ぶ人類の永遠の課題である環境問題にも、打ち勝つヒントを与えてくれるはずだと推測できるからである。