牧田 孝衞氏 パナソニック顧問
牧田 孝衞氏
パナソニック顧問
日高 信彦氏 ガートナー ジャパン 代表取締役社長
日高 信彦氏
ガートナー ジャパン 代表取締役社長

 2001年の赤字転落から、中村邦夫社長(当時、現会長)率いる「中村改革」によりV字回復を達成したパナソニック。この中村改革の1つであるIT(情報技術)による経営改革の事務方として、実質的に同社のIT革新を取り仕切っていたのが当時同社のCIO(最高情報責任者)を務めていた牧田孝衞(現顧問)氏だ。牧田氏は,どのようにして経営改革と軸をそろえた情報システムの大改革を成し遂げたのか。ガートナー ジャパンの日高信彦代表取締役社長が牧田顧問と対談し、後に続くCIOへの提言を引き出した。

(撮影:福島 正造)


日高:パナソニックのIT改革は、未曾有の大改革でした。この改革をCEOと歩調を合わせて成し遂げた牧田さんのご経験は、多くのCIOにとって参考になると思います。

牧田:参考になる部分もあるでしょうが、CEOとの関係というところでは、当社は特殊だったかもしれません。当時CEOの中村は、日本の経営者としてはめずらしく、ITをかなり意識した形で経営の枠組みを作りました。

日高:今、いろいろなCIOにお話を伺いますと、2010年以降に何をしなくてはいけないのか、これはもう2つに絞られます。1つは「プロセス改革」。もう1つは「グローバル・ガバナンス」です。これは、まさに牧田さんが10年前に始めた改革そのものです。そして、多くのCIOが悩んでいるのは「やらなくてはいけないことは分かっている、でも道を考えると遠い」ということです。やるべき改革の方向性が分かっていれば分かっているほど、呆然とするようです。牧田さんが実行された改革の最初の一歩は何だったのでしょうか。

40代後半に赴任した米国法人は、改革前の本社と同じ問題を抱えていた

牧田:私にとっての最初の一歩は、40代後半に米国法人へ赴任したことでしょうか。1994年から97年まで赴任したのですが、当時の米国法人は、ITシステムが事業部ごとに継ぎはぎ状態で、改革前の本社の小規模版のような問題を抱えていました。

日高:米国法人に、本社が抱える課題の縮図があったわけですね。

牧田:そうです。当社は、創業から事業部制で発展してきた経緯があり、松下電器産業(現パナソニック)グループの大きな枠組みをベースに各事業のトップが意思決定をして、利益を含めた販売、製造のすべてに責任を持つ形で運営をしていました。米国法人は販売会社なので生産機能はありませんが、ほかの事業部から製品を輸入して在庫責任を持ちます。そのため、経営面の思想は本社と同じでした。このような米国法人の経営にかかわることで、日本の松下電器産業グループの全体象を、客観的に外から見る視点ができたと思います。それから、米国法人では実質的に情報システムの責任者を務めておりましたから、本社のITについても、岡目八目的に見ることができました。

日高:当時の本社の情報システムはどのように見えましたか。

牧田:事業部制をとる会社組織とITが統合されていませんでした。組織としての総合力を発揮できる状況ではありませんでしたね。

日高:97年の9月に帰国して本社のCIOに就任しました。改革の準備として、最初にどのようなアプローチをしたのでしょうか。

まず説いたのは、経営とベクトルを合わせることの大切さ

牧田:CIOの役割を任されたとき、全社に情報発信する場で発言した内容は、今でも覚えています。1つは、経営と情報システムがどのようにベクトルを合わせるか、ということです。これは、米国法人にいた3年半の間、CEOやCFOと比較的近くで仕事をして、彼らの意識、考え方を聞きながら考えたことです。当時の当社の情報システム部門には、経営と自分たちの仕事との関係について理解が不十分で、経営とうまくリンクしていないところがありました。ですから、まず経営とベクトルを合わせることの大切さを説きました。

 もう1つは、情報システムは経営のパートナーであるということ。当時の情報システム部門は、仕入れの意識が強かった。言われたことは一生懸命まじめにこなすけれど、言われないとやらない。そこで、「パートナー」という言葉を使ったのです。情報システム部門が持てるノウハウを駆使して、経営に提案するような形のパートナーシップを作らなければいけないという意味です。

 もちろん、情報システム部門は単独で経営を引っ張ることはできません。しかし、経営トップの考えを、ITという手段を使って実現していくためには、情報システム部門が専門家としての立場で、提案、助言していかなければいけません。

日高:これは、部下に対しても上層部に対しても提言したのですか。

牧田:どちらかというと、情報システム部門に勤務しているメンバーに対する発信ですね。

日高:上層部に対しては、どのようなアプローチをしたのですか。