貧困の問題は、環境問題とは切っても切れない縁があるようだ。現在、特に貧困なサハラ以南のブラック・アフリカは、砂漠化を引き起こし、人口爆発にも見舞われている。だが、貧困そのものも環境問題かもしれないが、それより大きいのは物質的な充足を求める思いである。豊かになりたいという願望は、環境問題を引き起こす要因の一つになっている。アマゾン横断の高速道路の建設しかり、中国の工業化しかり。「開発=自然破壊」「工業化=汚染」という図式が生き続けている。

 貧困という言葉は、まるで世の中の森羅万象諸々の問題を解く万能のキーワードのように使われている。革命を起こすのも貧困、テロを起こすのも貧困だ。では、貧困とは何を指すのだろうか。改めて考えれば、この定義は難しい。なぜなら、「貧困」とは人によって感じ方が違うからである。『革命の解剖』という本を書いたC.ブリントンはいみじくも述べている。「1640年の英国農民を満足させた暮らしは1938年のアイオワでは不満なもの」。1640年とは英国清教徒革命のただ中で、1938年とは世界大恐慌から第二次世界大戦に流れ込んでいく時期である。

 つまり貧困という抽象的な言葉は、絶対的に定義されるのではなく、相対的なもの、何かと比較しての話に過ぎないのだ。だから、貧困そのものよりも「貧困だ」と思う心の方が重要となる。「貧困だ」と思うからこそ、現状を克服していこうという気になるのだろう。その意識が特に強かったのが欧州である。

 今日、我々は欧州が豊かであるイメージしか持たない。だから、環境と貧困の問題は、アフリカや中南米、アジアで起きているものだと考えてしまう。高校までの歴史の教科書を読めば、欧州が貧しかったことよりも、世界中を植民地化した欧州列強の活躍が印象付けられる。しかし、冷静に考えてみれば、なぜ産業革命が欧州で起きたのかという疑問にぶつかる。欧州が豊かなら、あえて変化する必要などなかったはずだ。古代大河文明同様に、変化を拒み時代遅れになっていったに違いない。

欧州は極貧状態だった

 実は、産業革命を起こす前、欧州は極貧状態だったのである。飢饉の研究家ジュディカーラは、欧州での飢饉と餓死の問題を詳細に研究している。それは環境史家のクライブ・ポンティングや、人口問題の研究家エドワード・アンソニー・リグリィによっても引用されているが、嫌というほど飢饉と餓死者続出が連続していることが彼の著作では指摘されている。1650~1660年にデンマークでは人口の5分の1が餓死、1696~1697年にフィンランドでは人口の4分の1が餓死…等々。これでは日本における天明の飢饉の比ではない。この貧困の原因は、欧州の自然環境の厳しさに求められる。

 欧州は、長いこと氷河に覆われていたため、土壌は劣化していた。北欧州では氷河の重みで圧縮して粘土質、しかもアルカリ土壌、南欧州では氷河に削り取られて岩盤化と、実に劣悪であったのだ。土壌の硬さは人力で行う鋤耕を困難にする。しかも質そのものも悪いから、不足している肥料分として畜糞が利用された。人糞は土がなかなか受け付けなかったからである。もちろん皆無ではなかったが、それでも極東地帯のような金肥となるレベルにはほど遠かった。家畜が飼われた理由は、主に動力と蓄糞にあった。肉を取るためではなかったのだ。

 植物の生育に適しているのは、寒暖の差が激しく、適度の雨量に恵まれた日本のような気候である。対して欧州は、寒冷地である。緯度を見ればロンドンは北緯51度、ベルリンは53度と、日本の北にある樺太の50度よりもさらに北。ノルウェーのオスロ、スウェーデンのストックホルム、フィンランドのヘルシンキに至っては北緯60度である。東京と比較するとパリもロンドンも年間平均気温で5度近くも低い。しかも、この気温さえもメキシコ暖流によって緩和された結果なのである。暖流による気温の緩和であるから、日本と比較すれば夏場の気温がとりわけ低いことになる。

 ローマは気温こそ東京に匹敵するが降水量となると東京の3分の1程度、パリやロンドンもローマとほぼ同程度ある。加えて、雨量の絶対量が少ないだけではなく、いつ降るのかという問題があった。欧州の雨期は冬であり、作物の本格的な生育前に梅雨がある日本とでは条件が異なる。曇天が多いから、年間を通しての日照量も不足している。

 夏前に大量の雨量、夏場に強烈な日照量を誇る日本では、雑草が生い茂るが、このこと自体が「豊葦原」という豊かさの証となる。高い気温と豊富な日照量と多量な水分によって、植物の生育は夏に進む。涼しくて乾燥した夏の欧州は、日本と比較すれば単なる気温差以上の不利がある。貧困の中、餓死者が出る世界では、貧困の克服こそが課題であり、それはすなわち「自然克服」であった。

 慢性的な貧困さが、こうした自然環境の厳しさと、そこから来る土地生産力の低さに由来するのは一目瞭然である。収穫が少ないから栄養も不足しがちとなる。なにしろ中世の平均的エネルギー摂取量は小麦600~700キロカロリー、肉類80~100キロカロリー、卵2個、ぶどう酒1リットルと、よく生きていると感心するレベル。フランスのオーベルニュー地方などは18世紀になっても年の2~3カ月はクリやトウモロコシ、そば粥とわずかな牛乳という献立で、1日の摂取カロリーは1800キロというから、平均すれば、1週間のうち3日の労働で1日平均2100キロカロリーを得ているカラハリ砂漠のブッシュマンよりも劣ることとなる。これで1週間のうち6日間重労働をしていたのである。