ビジネスとITの摩訶不思議な世界を“創発号”に乗って旅する匠Style研究所。前回は自分改革について話しました。今回からは、心の領域を旅していきたいと思います。僕自身が歩んできた道を振り返りながら、一人の社会人としてどのように心を形成してきたかを紹介します。キャリアアップ、スキルアップを目指すエンジニアの方だけでなく、すべての業種の方々に、きっと参考になると思います。一緒に心の旅を楽しんでください。

最初に入ったIT企業は半年で退社

 僕は27歳の頃に、経理担当者からIT企業に転職しました。当時に考えていたことは、手に職を持つことへの憧れです。すなわち、エンジニアに憧れてIT業界に入ったわけです。

 ただ無謀にIT企業へ、知識ゼロの状態から飛び込んだのではありません。利用企業の一社員として経理システムを稼働させる中で、OS(基本ソフト)の知識を学び、言語を学び、初級の情報処理試験に合格したことから、「IT業界で仕事ができるのでは」と思ったのです。

 しかし、それこそが無謀だったのかもしれません。現実はそう甘くはありませんでした。最初に入った会社は半年で退職します。給与面で生活ができなくなったからです。その後に入社した会社では、顧客企業の社屋に入りこみ、某デバッガー*1の保守業務として、アセンブラ*2システム記述言語*3のコードを解析しながら、設計書を書き直す仕事に就きました。

 これは、金融系のCOBOL言語*4しか扱ったことがない僕にとって、すべてが新たな世界でした。20歳前後の若手SEが先端システムを開発しているのを横目に見つつ、保守業務として地味なドキュメントを書く。その内容について理解できない状況の中で、挫折に挫折を繰り返し、心身ともに疲れ果て一種のノイローゼ状況になった時期もあります。

張られたレッテルは「使えないエンジニア」

 ただ、運良く僕には「使えないエンジニア」というレッテルが張られていたため、終業後はそれなりの時間が持てました。その時間に必死に勉強したのです。必要とあれば、高価なマシンを自宅に購入して、憧れのエンジニアを目指して頑張ったのです。

 OSの基礎、コンパイラ*5の基礎、情報工学の基礎、構造化方法論*6などを独学で学ぶことが“趣味”だと自分に言いつけました。オブジェクト指向技術*7に憧れ、「ネクストキューブ*8」という、米アップルのCEOを追い出されたスティーブ・ジョブス氏が作った米NeXTのマシンを購入し、オブジェクト指向環境や先端的なOS環境を学びました。

 こうした“趣味”が高じて、自分の知識を活かした仕事ができるようになったのです。実際、顧客にそのような先端技術を教えつつ、一緒に開発できるようになってきたのだから不思議です。

図1●エンジニアへの憧れが“技術の鎧”を生み出した
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 そしてオブジェクト指向を使って開発するチームを率いるようになります。開発経験を積む中で、「技術力こそ最大の力なり」という意識が沸いてきました。技術を鎧として身にまとい、戦いに挑むことこそが技術者としての修行と考えだしたのです(図1)。“技術の鎧”を身につけることによって、誰も恐れることなく、上司だろうが社長だろうが、自分が考える意見を押し通すようになりました。