1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,現在に至るまでの生活を振り返って,順次公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。
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 中堅以上のソフトウエア技術者であれば,ジェラルド・M・ワインバーグ氏の名前をご存知の方が多いのではないだろうか。といっても,私も詳しいプロフィールを知っているわけではない。著書に「ライト,ついてますか」「コンサルタントの秘密」「ワインバーグのシステム思考法」などがあり,システム・エンジニアに広く読まれているであろうこと,米IBMの研究所に在籍していたことがある,いわゆるエリート・クラスのシステム・コンサルタントであるらしいこと。即座に思い付くのはこの2点ぐらいだろうか。私にとってこの名前は,とても懐かしい響きがある。おそらくご本人はまだ現役で活動しておられると思うので,懐かしいなどと書いたら気を悪くされるかもしれないが。

 私がワインバーグ氏の名前を知ったのは「bit」(共立出版,2001年4月号で休刊)の連載がきっかけだった。まだ学生のときであったと思う。どちらかというと研究者寄りの,言い方を変えれば多少浮世離れした内容が少なくなかった同誌の中で,経験と実践に基づく幅広い話題を提供してくれる彼のエッセイは,まだ社会を知らない私にとって非常に興味深く,楽しみにしていた記事の一つであった。ただし,日本語訳された文章がとても読みづらいのには閉口した。後年,ある老練なSEとこの本の話をすることがあって,あの訳はどうなんでしょうねえ,と聞いてみたら,これは推測なのだが,と前置きして,おそらく原文も,読者を多少振り回して楽しんでいるようなところがあって,それを忠実に和訳した結果,ああなってしまうのではないか,と言っていた。なるほど。それならわかる気がしないでもない。

 こういうわけで,ワインバーグ氏の著書があると知ったときも,私はある程度の難解さを覚悟して購入した。最初に手にしたのは「一般システム思考入門」だっただろうか。その後「ライト,ついてますか」「コンサルタントの秘密」「スーパーエンジニアへの道」と続けて購入した記憶がある。正直なところ,よくわからない部分もあるのだが,理解できるものだけを取り上げてみても,考えさせられる個所が多く,なにか新しい知識を得たような気分になる。

 私の印象に残っているのは,例えばこんなセンテンスである。「医者が,主体性に欠けるあまり,患者がこうしてほしいと訴える通りの治療をするタイプだったらどうだろう。弁護士が,顧客の希望通りの弁護をするタイプだったらどうだろう。はたして彼を信頼することができるだろうか。」かなり以前の記憶をたどって書いているので,勘違いがあったらご容赦いただきたい。どの本に書いてあったのかも忘れてしまった。要するに,技術者というのは,顧客の問題を解決するという意味では,医者や弁護士と同じようなものである。自分のポリシーや方法論をしっかりと持ち,顧客に左右されることなく同意を得る努力を怠らず,結果を出してこそ信頼が得られるのだ,といった内容だったと思う。

 当時の私はこれを読んで大いに啓発された。そして,技術者というのは医者や弁護士と肩を並べるぐらい,あるいは,創造を司るという点を見れば,場合によっては彼ら彼女らよりも誇り高い職業だという自覚が必要なのだと思った。にもかかわらず,周囲を見渡せば,なんらポリシーを持たず,顧客のイエスマンに成り下がっている御用聞き技術者の多いことよ。そうして顧客に振り回された結果,デスマーチを歩むケースを幾度か見てきた。

 もちろんそういう事態になっても,作業量に応じた収入が得られるのであれば文句はないだろう。「外注根性」という言葉をご存知だろうか。私が20代のころの話だが,30代前半の派遣技術者から教わった単語である。彼は専門学校を卒業して,大手の電機メーカーに10年近く出入りしていた経験を持つ。

 「うちらはなあ,派遣先との契約は『資材課』っていう部署が扱うんだよ。資材だよ資材。柱や机とおんなじってわけだ。働く先は『工場』だ。元が電機メーカーだからな。ソフトウエア工場っていえば聞こえはいいが,大部屋に大机が並んでいて,あちこちから派遣されてきたやつらがずらりと座って一日中黙々と作業してる。工場っていうだけあって作業服で仕事するから,スーツで通勤しなくていいのは楽だけどな。俺がいたのはプレハブの建物だったな。床は昔の小学校みたく板張りでワックスがけしてあって。殺風景極まりないよ。そんな中で,社員に指示された通りに設計して,コーディングして,テストするんだ。新しい技術とか開発手法なんて習得したって意味ないよ。その会社の方針で導入するとなれば,いやでもマスターさせられるし,そうでなければ仕事とは全く無関係だ。プロジェクトに問題があってデスマーチになっても,健康を害さない範囲であれば構わないさ。勤めてさえいれば固定給が出るし,時間外の手当だって出るんだから。まあ時には人間関係が辛い現場もあるけど,派遣会社に申し出れば3カ月か半年ぐらいで別の現場に移れる。その間の辛抱だからな。現場では『外注さん』って呼ばれて,時々『害虫』に聞こえることがあるよ。まあ,しょせんうちらは資材,ネジや鉄骨と一緒だからな。でも忙しさを別にすれば気楽な仕事だよ」。これが彼らが言う「外注根性」というやつである。聞いていると本当に萎えてくる。世間での華々しい印象とは別の世界がここにある。

 これを聞いたのは20年ほど前のことだから,今とは事情が異なるかもしれない。しかし,極端な表現をすれば,「顧客が要求しない限りは新しい技術も必要ないし,プロジェクトがこけたとしても収入が確保できれば別に構わない」的な基本姿勢は変わっていないのではないだろうか。そういう意味で「外注根性」はいまだに健在なはずだ。

 私は若いときにこの話を聞かせてもらえたおかげで,プロジェクトの意思決定にどれだけ関与できるかを一つの指標として仕事を選ぶようになった。特に華々しいことをしているとは思わないが,自分のポリシーを大切にできるのはありがたいことだ。技術者たるものプロであり,誤解を恐れずに言うなら,場合によっては顧客を教育・指導する必要もあるということを,もっと自覚していけたらと思うのである。