世の中には愚問、難問ともに多いが、答え方一つでそのどちらにもなりうる問いかけというものもある。その典型が「いつから環境問題が登場したのか?」。こう聞けば即座に、「そんなことは決まっている。人間が登場したからだろう」と答える人も多いから、あえて聞く必要もない愚問にもみえるだろう。

 しかし、環境問題を根本的に解決しようとするなら、避けて通れない設問である。仮に人類発生が環境問題の起源だとしても、環境問題が全世界を覆うようになったのは、人類史でみれば比較的最近のことになるからだ。

 現在わかっている範囲で600万年(それ以上になる可能性もあるが)という人類の歴史には、いくつもの分岐点があった。おそらくは危機に対応してとらざるをえなかった生き残り策が、その分岐点形成の意味であり、そうしたいくつもの分岐点を経て、人間社会は今日の姿に至ったのだろう。氷河期の到来がもたらしたとされる二足歩行によって「人間」となり、火の利用、道具の開発、農耕の開始と、危機を乗り切らせた通過点はいくつもあったが、その都度、人類は困難を克服し、そして人間としての進化を遂げ、繁栄し、同時に環境問題を悪化させてきた。

 そして今をさかのぼること200年前、再び大きな分岐点にさしかかった。ヨーロッパの辺境・英国で、産業革命が開始されたのである。これは、人類史だけではなく、経済史でも分岐点を形成するものである。狩猟採集社会を終えて以来、人類の歴史は、圧倒的に長く農業と遊牧を経済の中心としていた。文明の成立そのものが、農耕の開始がもたらしたものであるから、有史以後数千年間は農業史こそが経済史であった。しかし、産業革命の後は商工業が経済の中心として語られるようになってくる。

環境問題の「近代史」は産業革命と共に幕を開ける

 産業革命とは、経済における「近代」の出発点であった。中学校の歴史の授業で、古代・中世・近代の時代区分を教わり、高校・大学と進むにつれて、何を時代の区切りとするのかが人によって違っていることも知った。日本においても年号が慶応から明治に変わったからといって、翌日から生活スタイルが一変したわけではないから、区切りを作ること自体無理なのかもしれない。ましてヨーロッパで、いつから近代が始まったかは議論百出している。しかし、環境問題を学ぶ者にとっては、近代の区切りは明確に見える。英国に産業革命が始まった時、環境問題の前史は終わり、後史が開幕した。

 太古の時代から存在した環境問題であるが、今日の環境問題が、過去のそれと違うのは、世界規模に拡大していることである。特に世界規模で消えていく両生類の問題ほど不気味な暗示はない。カエル、サンショウウオの激減、これが地域的な開発などで亡んでいったのであれば、まだ救いはある。問題は人跡未踏の地でも両生類が姿を消していったことである。

 両生類は魚から進化し、最初に地上に現れた種族であるから皮膚が弱い。このため、有害な紫外線や酸性雨の影響をもっとも受けやすいと言える。環境問題に取り組む人達の間で、両生類こそ地球規模の「坑道のカナリア」ではないかということが囁かれだした。地域限定から世界規模に、この分岐点が英国産業革命なのだ。

 「産業革命」という名前は、今となっては科学革命の一環として登場したとか、現在も進行しているから工業化であるとか、他の言葉で代用されつつある。しかし、このアーノルド・トインビーによる古き造語は、もともとは悪いイメージとして登場したのだが、古きヨーロッパと未来への希望がこめられており、一種の郷愁をもって耳に響いてくる。

 産業革命の功罪については、はるか昔より論争があった。しかし、1960~1970年代、工業化という観点では、自分の知る限りでは肯定的なイメージの方が強かった気がする。次々と独立をとげたアジア・アフリカの国々では、工業化を推進して、はやく先進国の生活水準に追いつきたいという気持ちでいっぱいのようであった。それが今日、まったくの悪役と化してしまった。産業革命こそが地球環境を異常にしていった真犯人であるということで。