土光さんは「仁」ある「倹」の実践者

 長らくご無沙汰しておりました。読者の皆様には、誠に申し訳ございませんでした。

 今回のテーマは、「倹」です。費用(コスト)を節約する「倹」であり、質素倹約の「倹」でもあります。この「倹」という字を私は見るたびに、故土光敏夫・元経団連会長(石川島播磨重工や東芝の社長などを歴任)のことを思い出します。

 土光さんが政府の「臨調」会長などとして活躍されたことをご存じの方は多いと思います。夢とビジョンのある国家百年の計、国家百年の「仁」をなす信念をもって、無私の心で日本の発展に尽くされました。

 徹底した経営合理化で石川島播磨重工業(当時)や東芝の立て直しを行った土光さんは、企業再建の名人ともいわれました。そしてよく「メザシの土光さん」とも言われ、当時の多くの国民に慕われていました。法師(僧侶)のような厳かで飾らぬ風貌と、朝食に奥様と2人で菜根の味噌汁とメザシを食べるような清らかで質素な私生活のイメージが重なったからです。

奥様との生活費は月額10万円ほど

 当時、土光さんの年収は6000万円ぐらいあったそうですが、奥様との生活費は、月額10万円ほどだったそうです。収入の大半は土光さんの母上が創立された橘学園に寄付されていたと聞いております。まさに「仁」の実践です。

 このような公私のメリハリをつけた土光さんの質素倹約ぶりは、費用(コスト)と投資(寄付も含む)を自身の哲学で実践された「仁」ある「倹」であり、他面、土光さん流の独自の徹底した合理精神の表れでもあったようです。

 時がたって、横浜市鶴見区の山の上にあるご自宅にお伺いしても、その質素なたたずまいは、いまだに品と風格のある土光さんの面影を残しているように感じました。鎌倉にあるお墓に参らせていただいても、その質素で静かな風格は、生前の飾らぬ土光さんのお人柄を偲ばせるようです。

 さて、「倹」は、『論語』では述而第七の次の文章に見られます。

 「奢(おご)れば則(すなわ)ち 不孫(ふそん)なり。倹なれば則ち固(こ)なり。その不遜ならんよりは、寧ろ固(こ)なれ」と孔子は述べます。

 「固」は、卑しい(いやしい)の「いや」とも読み、いやしくて品がない、上品ではないという意に一般的に解釈されています。現代語訳すると「驕って贅沢をしていると、礼に従わなくなり、尊大になる。倹約ばかりをしていると、卑しくて上品でなくなる。しかし、尊大不遜で礼に従わないよりは、むしろ卑しくて上品でないほうがよい」というわけです。

 ただ、これは孔子が特に「中庸」ということを大切にしているので、贅沢奢侈も倹約過ぎるのも、「中庸」を得ていないが、しいて言えば、尊大僭越(せんえつ)で「礼」に従わないより、「倹」のほうがよい、すなわち、卑しくて上品でないほうがまだよい、という孔子流の比較、価値基準と言えるでしょう。

 ただ、倹約ばかりだと、卑しくて品がないということになりかねません。そこで、土光さんのような公私の区別をつけた哲学を持った仕事の仕方・生活ぶり、コストと投資に関する考え方・合理的メリハリがとても参考になります。

 孔子が土光さんを見たら、きっと「中庸」のある理想の「倹」を備えた人物と評価したのではないでしょうか。