2008年以降,欧州の移動体通信事業者は,急増するデータ通信需要を中心とする様々な圧力にさらされ,生き残りか退場かを迫られた。それに対して通信事業者は,大きく三つの生き残り策を講じた。これらによって大きな利点を得られる一方で,失うものも少なくない。彼らが取った方策を概観し,その影響を解説する。

(日経コミュニケーション編集部)


山本 耕司/情報通信総合研究所 主任研究員

 欧州のモバイル・データ通信が2008年以降,爆発的に増加している。トラフィックが急増する中,定額利用でのサービス提供を余儀なくされた移動体通信事業者は,「ホッケースティック・カーブ」と呼ばれるジレンマに直面した(図1)。音声の時代には,トラフィック増による費用増はそれに伴う収入増で賄えた。しかしデータ通信の時代に入り,急増するトラフィックに対してわずかな収入増しか望めなくなっている。

図1●トラフィック急増に収入が追い付かないことを示す「ホッケースティック・カーブ」
図1●トラフィック急増に収入が追い付かないことを示す「ホッケースティック・カーブ」
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 一方,別の方面からの圧力も明確になり始めた。欧州各国政府によるモバイルを含むブロードバンド普及政策である。英国の「デジタル・ブリテン」などは事実上,第3世代携帯電話(3G)以降の技術でしか実現できない高速接続環境を,全国に拡大/展開するよう移動体通信事業者に迫っている。

 また,携帯基地局の建設が困難になっているという事情もある。例えばフランスでは,周辺住民からの訴えを受けて既存基地局の撤去を命じる地裁判決が2008年に出た。ほかにも同国では,中継局に関する裁判が続発している。

生き残りを賭けた三つの方策

 こうした背景によって,欧州の移動体通信事業者は市場での生き残りか市場からの退場かを迫られた。そこで彼らは大きく,(1)基地局の共用,(2)ネットワーク管理の外部委託,(3)LTE(long term evolution)の採用──の三つで生き残る道を選んだ。

 (1)は複数の移動体通信事業者が主に3G基地局を共用することである。例えば3月に発表されたスペインのテレフォニカと英ボーダフォンの設備共用契約では,ドイツ,スペイン,アイルランド,英国で共用を実施する。

 (2)の外部委託とは,主に3Gネットワークの構築・保守・運用を外部委託すること。ネットワーク設計・構築などを全面委託するものまである。3月には,英オレンジUKとフィンランドのノキアシーメンスネットワークス(NSN)が英国を対象にしたネットワーク管理委託の契約締結を発表している。

 (3)のLTEを欧州の事業者が採用する理由の一つは,周波数効率の良さである。周波数効率の良さは,基地局あるいはセル当たりのデータ伝送量にそのまま効いてくる。LTEの基地局はより多くのデータ・トラフィックを扱えるため,ふくそうの危険性は従来のブロードバンド方式よりもずっと低くなる。

最大の“実”はスケール・メリット

 これらの方策のメリットには,まず「スケール・メリットによる費用削減」が挙げられる。欧州の人口は首位のドイツで8000万強,2位以下のフランス,英国などで6000万前後である。この中に移動体通信事業者が1カ国当たり3~5社あり,さらにMVNO(仮想移動体通信事業者)が存在している。事業者1社当たりのユーザー数は日本や米国に比べて少なく,その分「利益を生まない設備・要員・作業」の費用は総費用に大きな影響を及ぼす。そこで,この利益を生まない設備を共用し,管理を委託することで,スケール・メリットを享受しようというわけだ。

 スケールの大きいベンダーへの委託によるメリットも見込める。受託首位のスウェーデンのエリクソンは100以上のネットワークを管理し,利用者は2億7500万に上る。2位のNSNはそれぞれ200以上,2億2000万だ。膨大なユーザーを有するスケールを持ち,通信事業者よりも効率的に管理できる。

 もう一つのメリットは,「自社戦略変更の自由度の確保」だ。長らく,ネットワーク・インフラの所有・維持・更新は通信事業者の中核事業の一つと考えられてきた。しかし,インフラの維持を中核事業から外すと,設備共用や管理の外部委託ができる。そしてそれらの方策によって浮かせた経営資源を新しい分野に振り向けられる。これは戦略的な現象だ。激変した手持ち経営資源の構成から「新たな中核事業」を設定できるし,浮かせた膨大な経営資源を生かせる。インフラ管理の外部委託で得られる利益は,委託前の費用の15~25%に及ぶと見積もられている。