そもそも、ブランドとは何か?

 ブランドというと皆さんは何を思い浮かべるだろうか?

 商品を思い浮かべる人もいるだろうし、企業を思い起こす人もいるだろう。産地やサービスや広告を思い出す人もいるかもしれない。

 ブランドには「一流」が付いたり、「有名」が付いたりして表現されることもある。高級感とか高価なものというイメージを持つ人もいるに違いない。消費者としてのブランドイメージと法人の購買観点でのブランドイメージは必ずしも同じものではないと思うが、ここで対象にしているブランドは後者のものである。

 では、ブランドに共通するものはあるのだろうか?

 少なくともブランドには品質が良いという信頼感があるように思う。この信頼感はどこから生まれてくるのか? おそらく提供側から見る視点と購買側から見る視点では異なるはずだ。

 提供側から見るブランドには、モノやサービスに対する信念、自信、価値の蓄積のようなものがある。提供する品質や価値に対する絶対的な自信がある。そのための見えないところでの創意工夫や価値創造の活動がある。それらが購買側に対して何らかの訴求力をもつところにブランドという概念が形成される。

 ブランディングというマーケティング用語があるが、胡散(うさん)臭いものが多い。表現の巧拙(こうせつ)で提供側の想いが伝わりやすいかどうかはあるが、広告やイメージ、作戦などでブランドが出来上がってくるものではない。一過性の虚像はできるかもしれないが、中身の無いものはいずれ購買側から見放される。

 購買側から見るブランドは、提供側の姿勢に対する共感や品質の信頼感、サービスの心地よさ、それらを担保する力強さなどを感じて価値を購入しようとする。それは提供される企業やモノ、サービスなどから醸し出されるものもあるし、購買実績から実感として感じるものもあるだろう。ブランドは非ブランドより価格が高いのも常である。価値創造には相応のコストがかかるし、付加価値を付けているのだから当然である。「高くても買う」のがブランドの信頼でもある。

深刻な「動かないコンピュータ」は、大手企業が請け負っている場合が多い

 ブランドの価値という観点から情報サービスを考えるとどうだろうか? 情報サービスにおけるブランドは何だろう? 品質における信頼だとすれば、何がそれを感じさせることができるのだろうか? それにしても、情報システムの構築ではトラブルや係争が多過ぎる。

 日経コンピュータが創刊(1981年)以来追求している「動かないコンピュータ」がそれを物語る。元来情報システムには無謬性(むびゅうせい=理論や判断などに誤りがないこと)がない。無謬に対する過度の期待が品質に対して過度の要求をしていることも否めない。しかし、品質を担保する仕組みが足りないことも事実である。

 このような情報サービスの分野におけるブランドは、企業の品質に対する責任遂行能力や担保力でしかない。大手企業は少なくとも担保力は高いはずだ。資産規模も大きい。研究所を擁している企業もあるし、技術者の層も厚い。従って経費もかかるから、どうしても価格は高くなる。

 しかし、大手だからブランドだとは言えない。海外ブランドでは傲慢(ごうまん)なライセンス体系と価格体系に購買側が翻弄されている事例が目立つ。大手が安心という「ブランド志向」は高コストになることは間違いない。

 品質の責任遂行能力から見れば、立派な品質を提供できる中小企業もあるし、ベンチャー企業もある。情報システムの開発では、多重外注などをしないで自社内製造を行っている中小企業のほうが品質は良かったりする。大手依存で品質問題が解決されるなら、こんな楽なことはない。

 「動かないコンピュータ」は、大手企業が請け負っていても起こっているし、むしろ深刻な例が多い。こうなると価値の選択基準が難しい。

 確かに、大規模なシステムでは対応力から大手企業に依存せざるを得ないこともあるだろう。ただし、設計さえしっかりしていれば、モジュール単位で中堅企業にお願いする方法もある。仕様を明示しないで「現行踏襲で」というような曖昧(あいまい)な依頼ではどこが請けても齟齬(そご)が生じてうまくはいかないだろう。つまり、価値の選択基準は購買側の姿勢と調達のマネジメントで決まるものだ。