嶋岡 正充氏 ソニー生命保険 取締役 執行役員 専務
嶋岡 正充氏
ソニー生命保険 取締役 執行役員 専務
日高 信彦氏 ガートナー ジャパン 代表取締役社長
日高 信彦氏
ガートナー ジャパン 代表取締役社長

 1979年創立以来右肩上がりで急成長してきたソニー生命保険。昨年リーマンショック以降、世界的な金融・経済危機によって成長の速度は若干影響を受けているが、成長余力はまだまだ十分にあるようだ。ちなみに2008年度の経常収益は、前年度比3.3%増の7659億1000万円。

 創業期から情報システム部門に属し、同社の急成長を支えてきた嶋岡 正充取締役に、ビジネスの成功要因をはじめ、小さな組織を大きな組織にしていくためのシステム部門の役割、今後求められる人材像などについて、ガートナー日本法人の日高信彦社長が聞いた。

 嶋岡氏は「これからの情報システム部門には、新しい情報システムをゼロから作り上げることのできるビジネスアナリストが必要だ」と説くとともに、「(一般論として)いまの情報システム部門は技術者集団であって、大規模投資が伴う組織として本来不可欠なガバナンスがあまり利いていない」と課題を挙げる。日高氏は「CIO(最高情報責任者)こそが、ビジネスアナリストの育成という役割を果たすべきだ」「情報システム導入に際して合理性を追求すべきだ」と話す。

(撮影:稲垣 純也)


日高 嶋岡さん、本日はよろしくお願いします。「経営とIT(情報技術)」に関してこれまで取り組まれた活動を通してつかまれた考え方や哲学などについて、ざっくばらんにうかがいたいと思います。

 振り返ってみると、嶋岡さんと知り合ってもう長いですが、私から見てすごいなと思うことことが2つあります。もちろん、2つ以外にもたくさんありますが…(笑)。

 1つは、ベンチャーに近い小さな会社だったソニー生命を日本有数の保険会社にまで育てられたことです。そしていま、さらに大きな会社にしようとチャレンジされています。

 もう1つは、これまでテクノロジーをすごくきちんとやってこられたということです。テクノロジーをしっかり押さえてビジネスで成果を上げたことについては、若いころに音楽家を目指してかなり真剣に音楽をやってこられてきたことと何か共通点があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

ビジネスの成否は、すべて戦略にかかっている

嶋岡 ビジネスが成功するかどうかは、基本的にはやはり戦略にすべてかかっていると思います。1つには、当時の生命保険業界に対して、当社は明らかな差異化を図る戦略を採って参入し、目の付けどころが時代に合っていたことです。もう1つは、本当の意味で顧客本位を実践してきたこと。これら2つが絡み合うことで、今日まで発展してこられたのではないかと思います。

日高 口でいうのは簡単ですが、誰でも差異化できるわけではないですし、本当の意味で顧客本位を実現できるわけではありません。なぜ差異化を図る戦略が成功するとみたのか、なぜ顧客本位のことを本当にやっていく文化ができたのか、大いに知りたいところですね。

嶋岡 やはり、ソニーの文化みたいなところがありますね。要は、「人のやらないことをやる」という風土があります。

 我々が採った戦略は、人のやれないことをやれるという前提に立って初めて成り立つ戦略だと思いますね。人の後を追いかけて、それを強化・拡大しようという戦略だとすると、ソニーとしては参入しなかったでしょう。それまでの生命保険業界にはなかったやり方でどうやったらうまくいくのかを考え抜いた戦略だったので、成功したのだと思います。

 顧客本位という考え方は、(1979年の創立)当時としては比較的新しい企業文化であり、概念だったかと思います。しかし、当社は生命保険業界では全く歴史がなかった分、経営トップから現場の社員まで当然のごとく受け止めることができましたし、実践できたのです。

日高 ソニー生命が最初に打ち出した差異化は、いわゆる「ライフプラニング」をやるということでしたか?

嶋岡 一番の差異化は、オーダーメードでお客様の保険を提供することでした。当時の保険会社は、お客様の状況がどうあれ、1つの保険を大量に販売していました。お仕着せというか、決まった保険にお客様を当てはめることが常識だったのです。ですから、個々のお客様の状況に合わせて保険を設計して販売するという、当時ではとても斬新なやり方を持ち込んだわけです。

編集部 確か当初は、ソニープルデンシャル生命としてスタートし、その後(91年4月に)ソニー生命に改称しました()。米プルデンシャル生命のビジネスモデルをそのまま日本に持ち込んだのですか? それとも、日本的にアレンジしたのでしょうか?

嶋岡 米プルデンシャルのビジネスモデルと、ソニー流マーケティングのミックスです。生命保険の考え方とか、生命保険を提案するプロセスの考え方とかは、米国のモデルを参考にしています。が、必ずしも米国モデルではなく、どちらかというと日本オリジナルのモデルといえますね。

日高 なぜ成功したのかという話に戻りますが、やはりソニーの持っている遺伝子とそれを実現していくリーダーシップのある人材がいたということですね。製造業と金融業におけるビジネスモデルは全然違うわけですし、ソニー生命はそれまでの保険会社に無い新しい付加価値を生み出したということですね。

優位性のある戦略と真の顧客本位の理念が共鳴し、新しいソニーの文化を創った

嶋岡 確かに、精神構造は受け継いだとしても、製造と金融では全く別ですからね。それにもともとソニーの出身者が多かったわけではありませんし、逆に通常のビジネスから考えれば、全体の中の割合はかなり少なかったので、全く別の企業が新たに誕生したということですね。いろいろなところから人が集まってきて、先ほどお話しした優位性のある戦略と本当の意味での顧客本位の理念が共鳴し、新しいソニーの文化を創り上げたという感じです。

日高 分かる気がします。そのなかで、嶋岡さん自身はビジネスそのものとテクノロジー(情報システム)の両方を見ていたわけですが、テクノロジーはソニー生命の成長にどう貢献してきたのでしょうか。とりわけ小さい会社を大きい会社に持っていくうえでの取り組みはどうだったのでしょうか。

嶋岡 半分は、自分の経験を生かす形で成長に貢献しました。私の場合、もともと大きな会社での経験がありましたから。

日高 そうですね。ソニー生命の前は、石油系の会社で働かれていましたよね。

嶋岡 ええ。小さな会社から大きな会社になる過程は知りませんでしたが、中規模な会社から大規模な会社になるというのは経験済みです。それから、コンピュータの歴史はある程度分かっていましたので、最終的なゴールではないにしても、将来はこうなっていくだろうということは見えていました。

 そうなると、大きくなるまでの途中のステップも見えてきます。多分、歴史のあるほかの会社が試行錯誤で進めてきたコンピュータの発展のプロセスを踏まえて、割と効率的に情報システムの構築や活用を進めることができたのではないかと思いますね。

 ただし、小さい会社は資源(お金)がありません。にもかかわらず情報システム費がどんどん高まってしまいますね。

日高 そうですね。コンピュータはある程度の初期投資が要りますしね。